歩み

  • 1881年 秋

    「鹿児島新聞社」設立

    西南の役(1877年)を契機に、鹿児島県の青年層にほうはいとして巻き起こった自由民権思想、国会開設の世論と戦役からの復興への思いを背景に誕生した。 東京から記者2人を招いて、政府攻撃の鋭い論陣を張った。

  • 1882年 2月10日

    「鹿児島新聞」創刊号発行

  • 1882年 春

    鹿児島市に自由主義を綱領とする九州改進党鹿児島部が結成。 「鹿児島新聞」も同党と結び、党勢の拡張をたすけた。

  • 1889年

    九州改進党鹿児島部の流れをくむ政治団体・鹿児島同志会に買い取られ、機関紙となった。

  • 1899年

    「鹿児島実業新聞」が創設

    資本主義の急速な発展による新しい時代の到来で、政党機関紙「鹿児島新聞」に飽き足らない空気を生み出し、鹿県経済界をバックとした。 政治的には厳正中立を守り、産業経済の発展をスローガンに、新時代に即した商業新聞のスタイルを備えていた。

  • 1913年

    「鹿児島実業新聞」が「鹿児島朝日新聞」と改題

  • 1941年 12月

    「鹿児島新聞社」が匿名組合組織から株式会社に改組

  • 1942年 1月

    「鹿児島新聞社」と「鹿児島朝日新聞社」と合併。社名を「鹿児島日報社」に

    日華事変の激化に伴い、1県1紙の統合策が国によって強引に進められた結果

  • 1942年 2月11日

    「鹿児島日報」第1号を発刊

  • 1946年 2月11日

    社名を「南日本新聞社」、題字を「南日本新聞」と改めて再出発

  • 1971年 12月15日

    鹿児島市易居町に「南日本新聞会館」完成

  • 1981年 2月

    創立100周年

  • 2001年 2月

    鹿児島市与次郎へ本社屋移転

  • 2011年7月29日

    紙齢25,000号

  • 2021年2月

    創立140周年

南日本新聞社の株式の全株は、社員によって保有されている。これは、1941年の新聞事業令で新聞の株式は新聞従業員でなければ保有できないことになっていたため、社外株を従業員が自力で調達した資金21万円で買いとったことに始まる。株式の社内保有制度は、現在においても厳格に守られ、新聞の自由、編集権の独立をささえる大きな力となっている。

題字について

南日本新聞社の題字には「桜島」「錦江湾」「鹿児島の街並み」の3つが描かれており、鹿児島の発展を願う想いが込められています。