第21~24回大会(駅伝)

【第21回県下一周駅伝】無事故で

昭和49年2月10日、第21回鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競争大会第1日。南日本新聞社横で、沿道の規制、選手の先導をつとめる白バイ隊が勢ぞろい「さあ、スタートだ」-隊長の指示が飛ぶ。紙面では「例年と違い2日間に短縮された大会だが12地区、全チームが参加、郷土の期待を背に熱戦を展開する」と報じている。
昭和49年2月10日、第21回鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競争大会第1日。南日本新聞社横で、沿道の規制、選手の先導をつとめる白バイ隊が勢ぞろい「さあ、スタートだ」-隊長の指示が飛ぶ。紙面では「例年と違い2日間に短縮された大会だが12地区、全チームが参加、郷土の期待を背に熱戦を展開する」と報じている。
【第21回県下一周駅伝】無事故で
昭和49年2月10日、鹿児島市武之橋で谷山中継点をめざし鹿児島市内を一団となって走る選手。紙面では「初日は、午前8時半、鹿児島市易居町の本社前を出発、南薩路を駆けて加世田入りした。春を告げる駅伝は、石油危機のあおりで2日間に短縮されたが、沿道の声援は例年以上に熱烈。力走する選手に向けて拍手が絶えなかった。」と報じている。
第1日スタート
昭和49年2月10日、駅伝第1日、指宿駅前中継所で、精根尽きた選手のからだをふき、介抱する婦人会のおばさん。
お疲れさん
昭和49年2月10日、駅伝第1日、開聞町上野で早春の菜の花を横に力走する肝付の高根選手。紙面では「早春の南薩路を駅伝が駆けた。ベテランも新人も、郷土の期待を背に精いっぱいの力走を続ける。錦江湾を左手に見て、花の咲きかおる指宿を抜け枕崎から加世田まで。沿道は、春の訪れを告げる駅伝に沸いた」と報じている。
陽光に飛び散る汗
昭和49年2月10日、駅伝第1日、頴娃町石垣で、遠来の熊毛チーム中原選手の耳に、郷土のなまりが飛び込む。在指宿種子島会の声援だ。
躍進へ
昭和49年2月10日、駅伝第1日、浜田(鹿児島)が最終区で俣江(肝付)をとらえデッドヒートを演ずる。紙面では「午前8時半、鹿児島の本社前を12チームがスタート、薩摩半島を半周して加世田市役所まで11区間134キロを走った。優勝は鹿児島と肝付の白熱した争い。リードした肝付の俣江を最後、鹿児島の浜田が逆転してトップでゴールした。区間新は10区池之上(曽於)の出した35分48秒の1つだけ」と報じている。
鹿児島、最終区で逆転
昭和49年2月11日、駅伝第2日、日置郡金峰町で、駅伝につきものの雪が、ことしも舞った。顔をさげ一団となって力走する選手。
吹雪をついて
昭和49年2月11日、駅伝第2日、金峰町で雪の中をはげしいトップ争い。紙面では「雪が真っ向から吹きつける。伊集院、串木野、川内、阿久根-沿道には、防寒帽やマフラーをかぶった観衆が立ち並んだ。こごえる手足をさすり、震えながらも人々は待ち続け、トップグループからしんがりの離島勢まで温かい拍手と声援を送った。悪天候をものともせず突っ走る選手たち、中継点で湯茶のサービスをする婦人会員、郷土選手の奮闘を期待し胸はずませて沿道へ急ぐ人々-駅伝の喜びと興奮が、加世田から出水まで広がった」と報じている。
粉雪の中、首位かけ死闘
昭和49年2月11日、駅伝第2日、東市来中継所で、総合優勝を目指す鹿児島。川崎へバトンタッチした江畑「頼んだぞ!」
頼んだゾ
昭和49年2月11日、駅伝第2日、日間優勝をとげ、テープを切る出水のアンカー神之門選手。紙面では「第2日の11日は午前8時、加世田市役所前をスタート、出水市役所前までの10区間117.3キロで行った。前日のリードをさらに広げようという鹿児島、一気に逆転、総合優勝をねらう肝付、郷土入りを飾ろうという出水が激しいトップ争い。結局、出水が4区から首位に立ち、そのままゴールして日間優勝」と報じている。
出水が日間優勝飾る
昭和49年2月11日、駅伝第2日、出水市役所前で肝付を抑えゴールに飛び込む鹿児島の鶴丸選手。紙面では「2日間の総合は、第1日首位をとった鹿児島が累計13時間44分45秒で昨年に続いて2連勝、通算9回目の優勝を飾った。総合第2位は肝付の13時間46分7秒、3位は第2日、郷土へトップで入った出水の13時間53分10秒、以下日置、川辺、姶良、川薩、曽於、指宿。第1日健闘した熊毛は10位、続いて伊佐、大島だった」と報じている。
鹿児島が2年連続優勝
昭和50年2月15日、頴娃町御領で家族の声援を受けて力走する指宿・浜崎選手。第22回鹿児島県下一周駅伝第1日は、絶好の駅伝日和に恵まれ、鹿児島市の本社前をスタート。早春の日ざしを浴び、錦江湾沿いに南下、菜の花の咲く薩摩路を抜け、加世田までの11区133.9キロに健脚を競った。
【第22回県下一周駅伝】陽春浴び健脚競う
第22回県下一周駅伝第1日、開聞町長崎で。トップ肝付の平山選手、開聞岳を後ろに力強いピッチ。
開聞岳を後ろに
第22回県下一周駅伝第1日。知覧町松ケ浦の8区中継点では、金らんどんすの花嫁さんとモーニング姿もりりしい花婿さんがお出迎え、緊張した選手たちの気分を和らげた。声援したくとも他の観客のようにもいかず、モジモジ、ソワソワ。これがなんともまた、甘ったるいムード。これにあてられ、うっとりなった格好の指宿・吉元隆選手、甘い視線に送られて、猛然とダッシュ。
あま~い声援、視線
第22回県下一周駅伝第1日、加世田市役所前。トップでゴールインする肝付地区・俣江選手。日間優勝を飾った肝付は1区市村が指宿の松元利に11秒差で抑えられたものの、2区外室がすぐ首位に立った。このあと4区の指宿駅前ゴール寸前で稲村が鹿児島の山元正に1秒差抜かれたが、続く5区奈須が山川駅手前で先行する鹿児島の岩元をとらえ抜き返し再びトップ、そのままアンカー俣江まで首位を保った。
肝付、9年ぶり日間優勝
昭和50年2月16日、第22回鹿児島県下一周駅伝第2日の金峰町で。熊毛の武田尚満選手(種子島高校1年)も初出場で強豪にまじって力走。
静かな闘志たぎらせ
第22回県下一周駅伝第2日、吹上町で。がんばるベテラン組。佐々木(川薩)と京田(出水)が仲よく力走。
よみがえる駅伝ブーム
第22回県下一周駅伝第2日、4区9キロ地点を力走する曽於・瀬戸口選手。過疎化がすすみ、一時は駅伝出場が不可能とさえいわれた農村や離島チーム。これらのチームを立て直したのが、いわゆるUターン帰省者や、若い自営業者たちだ。第2日に出場したこれら自営者たちは8人。その中でも、この日曽於チームの4区を走った瀬戸口三郎選手は異色の存在だった。
4年ぶり一線に 米国から帰省の農業青年
第22回県下一周駅伝第2日、川内中継所で。「あとはたのみます」と先輩の大山選手にたすきリレーの大屋和則選手(沖永良部高校2年)。
あとはたのみます
第22回県下一周駅伝第2日、阿久根市牛之浜駅前でドライブ客も車を止めて声援。沿道の両側に小旗を持って、声を限りに応援する人は、すべて「出水ガンバレ、ガンバレ」。後を走る監督車からも鋭い気合がかかる。晴れの郷土入りを首位で飾ろうと、捨て身の布陣を敷いた出水チームは9区で見事逆転に成功した。
見せた地元の意地
第22回県下一周駅伝第2日、野田村餅井で郷土入りに杉安透(鹿児島)を抜いてトップにおどり出た原選手(出水)。2区で首位に立った鹿児島が、7区激戦の快走で2位姶良に約500メートル差をつけて中継、鹿児島がそのまま逃げ切るかに見えたが、7区で3位の出水・山崎が鹿児島、姶良との差をぐんと詰めて追い上げ、8区で平がまず姶良・枝元を抜き、鹿児島の山元正に10メートル差まで詰めて逆転の足がかりをつくった。
出水、執念の追撃で逆転
昭和50年2月17日、第22回鹿児島県下一周駅伝第3日。宮之城柏原小学校前で激しい7位争いを演ずる熊毛、出水、川薩、日置。2区まで10位だった日置は、3区で5位に浮上、4、5区で6位に落ちたが6区で4位に。そしてアンカー満留が区間新の快走を見せ3位に躍進、累計で6位に上がった。出水は前日と連走の平、神之門、山崎らがよくがんばり5位。川薩は1区橘が激戦の中で6位をとったが2、3区で落ち8位。熊毛は能勢、谷口らの健闘で初めての日間1ケタ入りで気勢を上げた。
選手たちの激しいレース
第22回県下一周駅伝第3日、選手に声援をおくる夫婦。第2日の2月16日に大口市の夫婦が大口市と姉妹都市、西之表市のある熊毛チームの選手3人を自宅に招き、歓待した。3人の選手は「知らぬ土地で親切が身にしみました。おじさん、おばさんありがとう」と元気に走った。第3日の2月17日は、朝早くから起き出して、選手を中継点に送るやら、レース前の準備を手伝うやら、夫婦で大活躍だった。
熊毛ガンバレ!夫婦で声援
昭和50年2月18日、第22回鹿児島県下一周駅伝第4日。鹿屋市役所前で笑顔で日間優勝のゴールをする肝付・島津選手。肝付は2日目の不振がうそのような奮闘ぶり。総合優勝を射程内にとらえ、川井田を初起用するなど闘志満々。日間優勝で鹿児島との差をさらに縮め最終日の決戦に持ち込んだ。
笑顔で日間優勝のゴール
昭和50年2月19日、第22回鹿児島県下一周駅伝最終日4区1.7キロ地点、垂水市牛根。垂水市立松崎小学校ブラスバンドに迎えられて力走の原選手(出水)。冷たい潮風に吹かれながらも沿道には“小さな鼓笛隊”のお出迎え。メンバーは1年生だけ14人。自分のからだよりも大きな太鼓、アコーディオンで精いっぱいの演奏。小さな紙の帽子をチョコンとかぶってのかわいい演奏ぶりに前を走る監督車から期せずして「どうもありがとう」とマイクの声がかけられていた。
かわいい応援
第22回県下一周駅伝最終日、鹿児島市春日町、右田(鹿児島)が追い上げ、原田(肝付)と激しくせり合う。総合優勝をかけた鹿児島、肝付の勝負は最終日の最終区までもつれ込んだ。日間優勝は両チームのアンカーがテープを切るまでわからないというデッドヒート。ゴール100メートルではわずかに原田先行。右田は猛然と追い上げ抜き返してゴールへ。原田も最後の力をふりしぼりゴールへ飛び込み、ついに同タイムに持ち込んだ。
鹿児島、肝付最終区までデッドヒート
第22回県下一周駅伝最終日、南日本新聞社前で。同時ゴール、熱狂したファンの中へ飛び込むようにテープを切る右田(鹿児島=左)と原田(肝付)の両選手。秒差の総合優勝を2回も過去に出したこの大会だが最終日の同タイムゴールは大会史上初めてのこと。5日間にわたる鹿児島、肝付のデッドヒートにふさわしい幕切れだった。
死闘のドラマ、同時ゴール
昭和51年2月14日、鹿児島市武之橋で一団となって力走する各チームの第1走者たち。第23回鹿児島県下一周駅伝競走大会は県内11チームが参加、雨のなか鹿児島市の南日本新聞社前をスタートした。大会には伊佐チームが出場を断念、フルエントリーとはならなかったが、県内231人の健脚がずらりそろった。
【第23回県下一周駅伝】春雷ついてひた走り
昭和51年2月14日、加世田市役所前、1位でゴールインする鹿児島の浜田選手。レースは中盤、鹿児島と川辺が激しい首位争い。これに肝付が追い上げ、最終区の浜田、地頭所、外室の3エースによる勝負に応援も白熱した。午後3時49分15秒、加世田市役所に浜田がゴールイン、以下肝付、川辺、曽於、姶良、川薩、指宿、日置、大島、熊毛、出水の順だった。
浜田投入、ガッチリ
昭和51年2月15日、東市来三差路中継点。4区でトップに躍りだした姶良チーム、児玉(哲)から萩原にたすきリレー。姶良が鹿児島に3分37秒差をつけてみごと日間優勝。2日間累計でも鹿児島に次いで2位に浮上、鹿児島の完全優勝にストップをかけた。
鹿児島の完全優勝にストップ
大会2日目、日置郡伊集院町中継点。「お疲れさん、大変だったでしょう」中継点に駆けこむ選手たちを、やさしく迎える婦人会員。
お疲れさん
昭和51年2月16日、最終区・牧園町妙見で中村(肝付)をとらえ吉元(鹿児島)がトップに立つ。第3日は鹿児島が初日に続いて2回目の日間優勝を飾り、3日間累計では2位姶良に7分36秒、3位肝付に8分5秒の差をつけて総合優勝に近づいた。
再び終区で逆転
大会3日目、薩摩郡鶴田町。たたきつける雨、びしょぬれで厳しいレース。あべ木(鹿児島)中村(指宿)は苦しさに顔もゆがむ。
どしゃ降り
昭和51年2月17日、難関亀割峠で菊永(川辺)、鎌倉(鹿児島)、中村(肝付)の激しい上位争い。第4日は選手層の厚い鹿児島が余裕のある布陣で3区からトップに立ち、初日、第3日に次いで3回目の日間優勝。累計でも2位姶良に11分47秒差とし、総合優勝を確定的なものにした。
突っ走る鹿児島V4確定的
昭和51年2月18日、3区・垂水市海潟で今福(鹿児島)が中山(姶良)を抜きトップに出る。最終日は午前8時半、激しい雨の中鹿屋市役所前をスタートした。アンカー右田(鹿児島)が余裕のある走りっぷりで本社前にゴールイン、鹿児島が4回目の日間優勝。以下最終区でデッドヒートの末、曽於、肝付、姶良と続いた。
V4鹿児島 余裕たっぷり
昭和51年2月18日、閉会式で大会優勝旗を受け取る右田・鹿児島チーム主将。5日間沿道の声援を受けて白熱のレースを展開した第23回鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競走大会は、鹿児島チームが4年連続11回目の総合優勝をとげて大会の幕を閉じた。大会終了後、南日本新聞社6階ホールで閉会式があり、選手、役員ら約300人が参加した。
鹿児島に大優勝旗
第24回鹿児島県下市郡対抗駅伝競走大会は昭和52年2月12日スタート、16日まで5日間、51区間593.5キロのレースの火ぶたを切った。参加チームは伊佐を除く11チーム。第1日は、加世田市役所まで11区間、133.9キロを競い、川辺が肝付と抜きつ抜かれつの激戦の末、日間優勝、郷土入りに花をそえた。
【第24回県下一周駅伝】陽光浴びて力走
駅伝初日の12日は快晴。風おだやか。日中は汗ばむほどの陽気。南薩路をかけ抜けた鹿児島県下一周駅伝の健脚は文字通り“さわやかな春”を運んだ。この好天に恵まれ、沿道は最近にない応援の人がき。とりわけ子供たちの黄色い声援がにぎやかで沿道の学校や幼稚園は総出。駅伝をひと目みようと、短縮授業や予定の時間割をカットしてかけつけるほどの熱の込もりようだった。
飛び散る汗、わく沿道
昭和52年2月13日、川内市西方海岸。家族ドライブを小休憩して声援。
声援
大会2日目、日置郡日吉町。大島郡ガンバレとのぼりを立て必死に応援。力走する長山選手(大島)。
熱っぽい応援全身に浴び
健脚は早春の北薩路へ。第24回鹿児島県下市郡対抗駅伝3日目は昭和52年2月14日午前9時、川内市の川内警察署前から日当山のゴールをめざして一斉にスタート、いよいよ中盤戦に突入した。郷土入りを飾った川辺、出水のめざましい奮起、激しい首位争いで一段と見ごたえの盛り上がった大会だけに沿道は小、中学生の小旗がゆれ、地元・川薩チームはもちろん、遠来の大島、熊毛にも盛んな声援。伊佐チームの欠場といういちまつの寂しさはあるものの、大口市内でも歓迎の人波ができた。
川内川沿い力走
「ことしほど、つらい年はありません…」。鹿児島県下一周駅伝3日目の大口・伊佐路。ことしはオープン参加も果たせず、ついに「伊佐」のゼッケンが視界から消えた。覚悟はしていたものの、いざ、“その日”が来てみると体協や駅伝OBら関係者はもちろん、沿道の人々の胸の内はいいようもなく寂しそう。「来年はこんな無念な目にあいたくない」というつぶやきがあちこちでもれた。
消えたゼッケン、寂しさ漂う伊佐路
吹雪の中で、顔をゆがめ、アゴを突き出し、人間機関車はひた走る。第24回鹿児島県下市郡対抗駅伝競走大会第4日は、15日午前8時20分、約1000人の駅伝ファンの声援を背に上平田貢隼人町長の号砲で日当山を一斉に飛び出した。晴れの郷土入りをうかがう肝付、曽於、総合優勝を狙う鹿児島など11チームが吹雪の大隅路11区間121キロをひた走り、ゴールの鹿屋まで秒差のレースを展開した。
大隅路に白い息
吹雪と凍てつく道路と-。それでも選手たちはひた走る。第24回鹿児島県下市郡対抗駅伝競走大会最終日の16日は、レースもいよいよ大詰め。4日間の累計1位の保ちそのまま逃げ切りをはかる鹿児島、なんとか逆転優勝をねらう肝付など11チームが、スタートの根占からゴールの鹿児島市・本社前まで10区間114キロで、最後の激しい雪中レースを展開した。
雪中、激しいせり合い
鹿児島のV5成る―。5日間にわたって行われた第24回鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競走大会は16日、全日程を終了。最終日も鹿児島が今大会3回目の日間優勝で、5年連続、通算12回目の総合優勝を果たし、大会の幕を閉じた。総合準優勝は肝付、Bクラス優勝は最終ゴールまで秒差を争う激戦のすえ、川薩が累計1秒差で曽於に逆転勝ち、Cクラス優勝は出水、躍進第一位も出水が獲得した。。
鹿児島が5連勝

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