催し(その他)

開幕11000人入場、大にぎわい

平成元年3月16日、鹿児島市の谷山1号用地で鹿児島市制施行百周年を記念する博覧会サザンピア21が開幕した。正面ゲート前で開会を飾ったダンスは、燃える桜島を表現した。初日は早速1万人を超す市民が詰めかけ、趣向を凝らしたパビリオンやイベントに歓声を上げた。
昭和48年7月、「おぎおんさあ」での一こま。当時の紙面では、山車を引く“怪力牛”がめっきり減り、「今や牛は“貴重品”」。
山車引く”怪力牛”
昭和32年7月、出水市の八坂神社を中心に2日間開かれたおぎおんさあ。「本祭は御神の輿の行列、ワッショイワッショイと揃いのはんてんに鉢巻姿のイキな稚子さんたちの“タルミコシ”が威勢よく町中をねり歩いた」と当時の紙面で伝えている。
おぎおんさあ
昭和53年7月22日、西之表市の市制20周年を記念した鉄砲祭には行列1400人が参加した。紙面では「火縄銃砲隊、南蛮(なんばん)行列などが繰り出し、市街はお祭り気分一色。ポルトガル大使夫妻やゆかりの深い堺市の市長らも駆けつけ、一段とにぎわった」と紹介している。
ポルトガル大使を招き鉄砲祭り/西之表
昭和57年6月、南種子町田代地区で復活された行事「岩穴焚(た)き」。当時の紙面には「種子島に古くから伝わる、珍しい行事で70年ぶりに復活。自然の洞窟でサウナのように蒸し風呂にし、約30人の地域のお年寄りらが汗を流した」と報じている。
洞穴を蒸し風呂に「岩穴焚き」/南種子
昭和26年2月、西之表町(当時)の栖林神社境内で開かれた「御的始式」。紙面には「もえ上がる弓道熱と題して、種子島家に伝わる年中行事の一つ『御的始式』が約300年ぶりに古式ゆかしく復活した」と報じられている。
栖林神社の「御的始式」/西之表
昭和40年10月、徳之島名物の闘牛の様子。当時の紙面によると「徳之島で名物となっている闘牛は亀津にある特設の闘牛場で開かれ、島民の人気を呼んでいる。徳之島空港の業務開始以来4年。徳之島も観光資源を生かせる状況になり、日本全土にも知名度が浸透し来島者も増えている」などと報じている。
亀津の闘牛場でおこなわれる名物の闘牛/徳之島町
昭和56年10月13日、旗上げして10周年を迎えた鹿児島オペラ協会の初めての東京公演が新宿文化センターで行われた。紙面では「新宿文化センター大ホールに、万雷の拍手がわいた。それは、火のように、嵐のように、鳴りやまない。カーテンコールがくり返され、感動と興奮の波が渦巻いている」と公演の大盛況ぶりを報じている。
鹿児島オペラ 東京で初公演
昭和48年12月4日、鹿児島交響楽団の第1回定期演奏会は、鹿児島市の県文化センターで開き、若い鹿響にふさわしく力強い演奏で晴れのデビューを飾った。会場には、戦後、初めて郷土に誕生した本格的な市民オーケストラのデビュー演奏を聴こうと多数の音楽愛好家たちが詰めかけ、曲が終わるごとに、激励の拍手を送っていた。
鹿児島交響楽団、力強くデビュー演奏
昭和43年4月5日夜、鹿児島県明治百年記念式典の前夜祭「県青少年のつどい」は、皇太子ご夫妻をお迎えして、鴨池球場に特設された会場で開かれた。午後7時24分、花火が夜空を色どり、ブラスバンド、合唱隊が高らかに喜びの楽の音を奏する。皇太子ご夫妻が球場三塁側入り口をおはいりになると、球場内の約1万5000人の青少年、来賓、一般客がいっせいに拍手で迎えた。
燃えろ若者、3000人が友情交歓
昭和43年4月6日、鹿児島県明治百年記念式典に出席された皇太子ご夫妻は、午後2時から鴨池陸上競技場の記念式典祝賀マスゲームをご覧になった。鹿児島市内小、中、高校生、県下婦人会員約7300人の演じる若さとローカル色あふれるマスゲームを、からだを乗り出されるように興味深そうにご覧になった。
鹿児島県明治百年記念式典<br>祝賀輪舞にご満足
鹿児島市制施行百周年記念の「サザンピア21」が平成元年3月16日、同市谷山1号用地で開幕。5月14日まで60日間にわたり「火山と未来」をテーマに、目標の75万人を上回る88万人の観客でにぎわった。総事業費約22億円をかけ、パビリオン13館と100社を超す企業参加でスタート。H―2ロケットの実物大モデルや立体映像、21世紀の鹿児島市の巨大ジオラマ、無重力体験など人気を集めた。
【サザンピア21】<br>88万人が楽しむ
建造の進む「錦江湾レディー」。サザンピア21の海上輸送を担う山川造船グループの新船「錦江湾レディー」は、会場までの陸上の交通混雑が懸念されるサザンピア21の「海の助っ人」。紙面では「開催期間中、鹿児島本港と谷山一号用地約16キロを、速力15ノット、40分で結び、入場者の大量輸送に活躍する」と報じている。
新鋭船「錦江湾レディー」建造順調
サザンピア21開幕まで、あと1カ月を控え、緊張感を増してきたコンパニオン「サザンピアレディー」たち。鹿児島市天保山町の市職員研修所で「上手な話し方」「表情と視線の研究」「礼儀正しい身のこなし」などびっしりと書き込まれた分厚いマニュアルに沿って、厳しいトレーニングが続いた。
サザンピアレディー、本番目指して研修
平成元年2月22日、優雅な船体を海上に現した「錦江湾レディー」。サザンピア21の海上輸送用に建造を進めていた新船(165トン、旅客定員400人)が完成、指宿郡山川町の山川造船鉄工ドックで進水式があった。全長36.3メートル、幅7.2メートル。白を基調とした船体に紫色のラインが鮮やかで「サザンピア21」の文字も入っている。
錦江湾レディー進水
平成元年3月14日、サザンピア21の開幕を直前に控え、谷山1号用地の会場で、完成した各施設が報道陣に公開された。紙面では「開会式に備えたリハーサルのほか、パビリオンの開館セレモニーも相次ぎ、一帯はひと足先に、お祭りムードでいっぱい」と報じている。
一足早く本番ムード
平成元年3月16日、鹿児島市の谷山1号用地で鹿児島市制施行百周年を記念する博覧会サザンピア21が開幕した。正面ゲート前で開会を飾ったダンスは、燃える桜島を表現した。初日は早速1万人を超す市民が詰めかけ、趣向を凝らしたパビリオンやイベントに歓声を上げた。
開幕11000人入場、大にぎわい
平成元年3月16日、開幕を祝う100発のミニロケット。このあと実行委員会会長の赤崎義則市長が、「輝かしい21世紀の鹿児島市の創造を目指して」と開会宣言した。紙面では「風もなく、暖かな日差しのなかで、お客さんも裏方さんも、右に左に動き回った」と報じている。
日差し暖か、祭り楽しむ
平成元年3月16日午前10時10分、サザンピア21会場正門。開門と同時にコンパニオンの出迎えを受けどっと入場する人たち。絶好の博覧会日和に恵まれ、お別れ遠足の中学生が、家族連れがハイテク技術を駆使した巨大ジオラマや無重力体験などを楽しんだ。おおかたの入場者からは「見ごたえあった」と及第点。市制百周年を記念した一大イベントは、まずは幸先いいスタートを切った。
館から館へ人の波
平成元年3月、サザンピア21。開幕と同時に各パビリオンでは早くも行列ができた。
人気上昇
平成元年3月、サザンピア21。昔の生活がよみがえる市民百年館。お年寄りも若者もレトロ気分でたのしんでいた。
レトロ気分
平成元年3月、サザンピア21。特殊フィルター付きのメガネをかけると、映像が間近に迫ってくる。
立体映画
平成元年3月、サザンピア21。見物にあきた子供はいろんな遊具施設に乗り、春風に吹かれて完成をあげていた。
プレーランド
平成元年3月、サザンピア21。郷土の味と物産がずらりと並んだ名店街。知らない味新しい発見がある。
ふるさと通り
平成元年3月、いつも宝くじファンでいっぱいのイベント宝くじ「サザンピア21ラッキー3」売り場周辺。趣向を凝らしたパビリオン群を上回る人気を集めた。谷山1号用地の会場内でしか買えない貴重さと手軽さが受けてか、オープンの3月16日に1万3000枚を売ったのをはじめ、常に6000枚以上をキープし、3つのボックスは常に人だかりが絶えなかった。
サザンピア宝くじ人気集中
平成元年5月14日、鹿児島市谷山1号用地のサザンピア21会場、海の見える護岸は弁当を広げる人でぎっしり。13のパビリオンが並ぶ谷山1号用地の会場には、最終日も市内外から4万人を超える人びとが。あいにくの強い風と土ぼこりに悩まされながらも、駆け足で場内をめぐり、にぎやかなフィナーレを楽しんだ。
満員、ぎりぎりまで熱気
平成元年5月15日、60日間ともに過ごしたパビリオンの後片付けを手伝うコンパニオンたち。88万人が訪れた鹿児島市谷山1号用地のサザンピア21。まだ祭りの余韻のさめやらぬというのに15日朝、早くも撤去作業が始まった。作業員の間から「もったいないなあ」との声も聞かれる中、取り壊し作業は着々と進んだ。
早くも撤収作業始まる
平成2年1月5日、東京・渋谷のNHK放送センター正面玄関に、大河ドラマ「翔ぶが如く」(7日放送スタート)の主人公・西郷隆盛と大久保利通の砂像が完成し、像の前で鹿児島県の観光キャンペーンを兼ねたドラマの放送開始式があった。
【翔ぶが如く】西郷、大久保の砂像完成
平成2年4月1日、明治維新で鹿児島が果たした役割や、郷土が生んだ偉人らを紹介する「翔ぶが如く館」が、鹿児島市のJR鹿児島駅東側の特設会場にオープンした。開館を祝い、ドラマ「翔ぶが如く」に出演中の西田敏行さん、酒井法子さんらが来場したこともあって、初日の入場者は4300人(主催者発表)。約1200平方メートルの館内は一日中、家族連れらでにぎわった。
「翔ぶが如く館」誕生
平成2年4月1日、明治維新で鹿児島が果たした役割や、郷土が生んだ偉人らを紹介する「翔ぶが如く館」オープン。コンピューター制御で動く薩英戦争のジオラマの前にはチビっ子、家族連れらが陣取って熱心に見つめるなど、思い思いに「薩摩の歴史」を楽しんでいた。
「翔ぶが如く館」噴煙あげる桜島に驚嘆
霧島国際音楽ホール=みやまコンセール=の開館記念式典が平成6年7月22日、姶良郡牧園町の同ホールであり、芸術・文化団体や工事関係者ら、県内外から招待された約500人が完成を祝った。
みやまコンセール開館、献堂曲「霧島」で祝福
第50回記念南日本美術展=南日本新聞社主催=は平成7年11月10日、鹿児島市の黎明館と市立美術館の2会場で始まった。午前9時半から黎明館で行われた開場式には、入賞入選作をはじめ地元の美術関係者、近くの長田中生徒ら約100人がそろい、美術の秋の最後を飾る県内最大の総合美術展のオープンを祝った。
第50回記念南日本美術展が開幕
9500年前は、最大で13戸50人程度しか住んでいなかった縄文のムラに平成9年6月1日、6000人以上が押し寄せた。国分市の上野原遺跡の一般公開には、「時を経て姿を現した話題の遺跡をこの目で」と、九州はもとより関東や北海道からも600人以上が訪れた。考古学マニアに加え、古代の暮らしに夢はせる家族連れ。総動員態勢で説明に当たった鹿児島県立埋蔵文化財センターは、予想を上回る見学者の熱気に「最古級かつ最大の定住集落」の吸引力を実感した様子だった。
上野原遺跡一般公開
国分市の上野原遺跡の一般公開が平成9年7月20日、再開された。縄文時代早期前葉=約9500年前=の集落跡の近くには、竪穴住居1軒を復元。連穴土坑や集石を使った″縄文グルメ″の実演もあり、県内外から2361人が訪れた。
上野原遺跡の一般公開再会

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