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記録に残っているのは、明治時代の1911年に喜界島沖であったマグニチュード8.0が最大。震度6と記録されていますが、今の換算だと震度7に相当するのではないでしょうか。この地震の時には津波もあったらしく、口伝ですが、喜界島では8mを超えたという話も残っています。
海に囲まれた奄美地方だけでなく、県本土でもあります。関ケ原の戦いの直後の1605年に起きた南海トラフでの地震は、震度は比較的小さかったのですが、現在の鹿児島市から加治木町にかけて3mを超える津波に襲われたという記録があります。あまり知られていませんが、1960年のチリ地震でも奄美で4.4mの津波を観測しています。奄美では床上、床下浸水を合わせて1900戸の被害があり、枕崎や加世田でも床下浸水の記録が残っています。
安永噴火時の古文書に「出来島燃え上がり、泥吹き上げ津波大いにあがり果てたり」という記述が残っていて、海底噴火によって津波が発生し、相当の被害があったようです。記録をひもとくと、錦江湾内でも津波は起こり得ます。チリ地震のような遠方の巨大地震、東日本大震災のような海底を震源に起きる巨大地震のほか、鹿児島では火山に伴う地震と津波にも気をつけなければならないことを歴史は教えています。
新燃岳では大噴火が進行中です。昨年1月26日と27日に新燃岳が3回の噴火で吐き出した噴出物は、昨年桜島が996回も爆発して出した噴出物の合計量の約10倍になります。火山の活動は長期にわたります。今後の動向に注意が必要です。
「災害は忘れたころにやってくる」と言われます。逆に言えば、忘れなければ被害を減らすことができます。家族や会社で緊急時に集まる場所を決めておいたり、防災グッズなどを準備しておきましょう。鹿児島は災害のデパート。東日本大震災は他人事ではありません。「地震や火山噴火はいつ発生してもおかしくない」という気持ちを日ごろから持っておくことが大事です。
年 | 出来事 |
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1471~76 | 文明の大噴火(桜島) 沖小島・烏島が出現 |
1605 | 慶長地震 関東から南九州の広い範囲で揺れ、大隅や薩摩にも津波 |
1716~17 | 享保の大噴火(新燃岳) 八丈島でも降灰を確認 |
1778~81 | 安永の大噴火(桜島) 新島が出現。鹿児島市街をはじめ加治木、国分など錦江湾北部沿岸に津波被害 |
1896 | 御鉢爆発 1880~1900年 活動活発化 |
1911 | 奄美大島沖地震 東は父島、東北は秋田まで揺れを感じたとの記録 |
1914 | 大正の大噴火(桜島) 鹿児島市を中心に死者29人を出す地震(M7.1)も発生、烏島が埋没、流出溶岩で大隅半島と陸続きになる |
1946 | 昭和の噴火(桜島) 溶岩流で当時の黒神集落の全部、有村集落の半分が埋没 |
1959 | 新燃岳の爆発 |
1960 | チリ地震 九州地方に初の津波警報発令。奄美地方を中心に、加世田や枕崎でも浸水被害 |
1997 | 県北西部地震 M6.4、薩摩川内市で最大震度6弱を記録 |
火山を抱える鹿児島で私たちはどう災害に備えればいいのでしょうか。東日本大震災で津波被害を受けた青森から千葉までの約8000㎞を調査し、被害の詳細地図を作成した大阪市立大学の原口強准教授(地質工学)に聞きました。
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鹿児島はどういう場所かをまず考えてみましょう。日本に108ある火山のうち11があり、台風をはじめ自然も厳しい。南北600㎞に人が住み、災害を受けます。東日本大震災の被災地を歩いて感じたのは、人間の直感力が鈍っていること。「自分は大丈夫」とテレビやラジオで状況を判断してから逃げようとした大人は逃げ遅れ、逆に子供たちは率先して逃げて助かりました。「自分の命は自分で守る」意識を持ち、「自分たちで地域を守る」という心構えが必要です。
鹿児島では災害が起こると分かっていますが、皆それを認めるのが嫌なのではないでしょうか。しかし、事実をちゃんと受け止めて考えるべきです。その差が命を守れるかどうかにかかわります。地震や津波は予測が難しいですが、鹿児島の場合は桜島や新燃岳という相手が見えています。いかに乗り切るか、予防策と対応策を考えなければなりません。
鹿児島でも東日本大震災以降、防災への関心は高まっています。鹿児島市のホームセンターきたやま東開店では、震災を受けてツール館入り口に防災コーナーを設置しています。同店DIYアドバイザー肥後隆行さんに、防災・非常時グッズの売れ筋やお勧めの商品を聞きました。
家具の転倒対策として伸縮タイプの突っ張り棒がポピュラーですが、最近は張り付け型が注目されています。L字型の器具で家具を後ろの壁に張り付けます。メーカーによると、スポンジが揺れを吸収して震度7まで耐えられるとのこと。家具と天井との間が狭くても使えるうえ、家具や壁に傷をつけにくいため賃貸住宅などに最適です。
難燃性の袋にアルミシート、軍手、活性炭マスク、ホイッスル、ロープ(3m)、ミニライトがセットになっています。これに非常食用の乾パン、飲料水、お金(硬貨がよい)、運転免許証や健康保険証のコピーなどを加え、いつでも持ち出せるように備えましょう。
東日本大震災の後は、全国的に乾電池が不足しました。小さなソーラーパネルのついたランタンや携帯電話充電器が人気。ランタンや懐中電灯は電力消費の少ないLEDタイプがお勧めです。
手回し発電式のラジオ・ライトも便利です。携帯電話の充電アダプターもついており、ハンドルを3分間(360回転)回すとラジオが35分、ライトは16分使えます。携帯電話なら1?2分間の通話、15分間の待ち受けができます。
本格的な発電機を選ぶなら、家庭用コンセントと同じように使えるインバーター発電機がお勧めです。パソコンや携帯電話、デジタルテレビほかマイコン制御の家電などは、周波数の安定した「きれいな電気」でなければ誤作動や故障の恐れがあるので注意して。ガソリン式に比べて扱いが簡単なカセットガス式の問い合わせが増えています。
昨年3月11日に発生した東日本大震災。鹿児島でも支援の輪が広がり、今もさまざまな形で活動は続いています。
大隅半島4市5町でつくる復興支援チームが活動した岩手県大船渡市を応援しようと制作されたTシャツ。制作は大船渡市の染工場に依頼、同市の市章の色・紫地に染められ、背中に「がんばっぺ! 大船渡!!」の文字が入る。制作費など実費を差し引いた全額を漁協など大船渡市の団体に義援金として送っている。サイズはS~XXXL。1枚2000円(税込)。FMかのやなど大隅のFM4局で扱うほか、発送も行っている。
鹿児島市の堂園メディカルハウスの患者支援会「花火の会」と吉田葬祭が、震災1年を機に被災地の住民に花を贈ろうと協力を募っている。同ハウスの堂園晴彦院長が岩手県陸前高田市の県立高田病院の仮設診療所で毎月ボランティア診療を行っており、「まだまだ痛手から立ち上がれない人も多い。少しでも心を安らげることができれば」と計画した。1口1000円。振り込み先は、鹿児島銀行武町支店(普)1440228、口座名:堂園メディカルハウス「花火の会」。
「鹿児島から継続的な支援を」と20~30代の社会人たちが東日本大震災直後に立ち上げたボランティアプロジェクト。県内37の賛同企業の活動と消費者との橋渡しを行う。1月からは震災1年を前に、地震発生時0歳だった子が20歳を迎えるまで支援する「ハタチ基金」に協力する「311ハタチバトン」募金を展開。3月4~11日は鹿児島市東千石町で、賛同企業商品のチャリティーマーケットや「復興の狼煙(のろし)」ポスター展示を行う「From Kagoshima復興支援ウィークinにぎわい通り大学2012」を開く。11日にはハタチバトンの集計イベントもある。