ボンタンアメ(セイカ食品)

鹿児島みやげの定番。なんとアメを「空からまく」計画があった!?

2024/3/11 11:00

ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

ボンタンアメ


小さな箱の中に並んだ、淡いだいだい色のボンタンアメ。一粒口に頬張ると、もっちりした食感とともに、優しい甘さと爽やかな風味が広がった。

2025年に誕生100周年を迎える。販売元のセイカ食品(当時は鹿児島菓子・鹿児島市)は、ボンタンアメ誕生前、水あめや熊本の郷土菓子・朝鮮あめを製造していた。ところが売り上げが伸びず、経営難の状態にあった。

ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

もち米、砂糖、いちき串木野・阿久根産ボンタン果汁、温州ミカン果汁などの材料を混ぜ、蒸気釜で練り上げる



ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

できあがった約100℃のアメは、蒸気釜の底穴から下の階の冷却室へ。落ちてくる場面は工場見学の子どもたちに大人気


その頃工場では、従業員が細長い形状の朝鮮あめをひと口大に切り、おやつとして食べていた。その様子を偶然目にした初代社長が、ボンタンの味や風味を付けたら面白いのではと着想。水あめ、朝鮮あめ、ボンタン漬けの製造技術を結集させ、1925年、「ボンタンアメ」が誕生した。

ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

薄く伸ばし、やわらかいうちに金属製の枠で30cm四方の大きさに切る



ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

特殊な機械で一粒大にカットする。人の目や機械で異物が混入していないかチェックし、オブラートで包む


当時、新商品の宣伝活動にはかなり力を入れたという。全国を行脚する楽器隊にPRを依頼したり、ボンタンアメを空からまこうとしたり。“ボンタンアメ散布作戦”は実現こそしなかったものの、計画が報道されて「まいたも同然」の効果があったそうだ。

ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

.箱詰めは手作業。スタッフは手の感覚で粒数が分かるという。運営から作業まで女性が多く活躍


そうして人気商品となったボンタンアメが、会社を窮地から救った。現在まで味やパッケージをほとんど変えていない理由には、「救世主」に対する歴代社長の思いもある。

ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

ボンタンアメはすべて鹿児島市の唐湊工場で、毎日製造。工場では1日あたり、14粒入りボンタンアメ4万箱以上になる量の菓子をつくる


製菓部業務課の東龍吾さんは話す。「親や祖父母から買ってもらったボンタンアメを子や孫に買ってあげたい、という声も多い。ふとした時に手に取って、懐かしさを感じてもらえたらうれしい」

■ボンタンアメ柄の食器がある?
アメリカ発祥の食器ブランド・ファイヤーキングとコラボレーションした、ボンタンアメ柄の食器。企業のコラボ商品などを手がける、ヒキダシ(東京都)の小池直行代表が発案した。

ボンタンアメ<small>(セイカ食品)</small>

スタッキングマグ(4,180円・左)、ボウル(4,400円)


「関東出身だが子どもの頃からボンタンアメが好きで、パッケージでは見られない絵柄の全体を見たいと思った」のがはじまり。フィンランドを拠点にする日本人デザイナー、エリ・シマツカさんがデザインを担当。「ボンタンアメを頬張りながら、ノスタルジックな気持ちで仕上げた」とのこと。

イメージを守りつつ、新たなデザインで魅力を広げる。ファイヤーキングジャパンは「ボンタンアメを口にし、話題にするきっかけになれたら」とコメント。ファッションアイテムやインテリア雑貨などの販売も予定する。

▼ファイヤーキングジャパン公式オンラインストア
 store.fireking-japan.com
ほか山形屋2号館5F what、鹿児島空港SkyShop(2F売店)で販売。



鹿児島市唐湊4-4-5(セイカ食品唐湊工場)

工場見学/保育園・幼稚園・小学校の社会科見学のみの受け入れ

※情報は記事公開日現在のものです。

※料金など、店舗にてご確認ください。



日間ランキング >