屋久島町立永田小学校|無意識に口ずさむ「自分を励ます応援歌」

2024/04/06 16:00
校区内の集落民全員が愛する永田小学校=屋久島町
校区内の集落民全員が愛する永田小学校=屋久島町
 町内9小学校の校区が26集落に分かれる屋久島町で、永田小学校だけが永田集落のみを校区とする。そのためか「人の子も 我〔わ〕が子も同じ 永田の子」という言葉が残るほど集落の結束力は強く、住民全員が家族のように暮らす。

 校歌ができた時期は不明だが、卒業生らの話を総合すると1965年ごろのようだ。作詞・作曲は喜界町出身の民謡研究家、久保けんお=本名・賢男=さん(1991年死去)。同じ敷地内で2013年3月閉校した永田中学校の校歌も久保さんが手掛けた。

 歌詞には、豊かな自然や住民の思いが盛り込まれる。

 一番にある〈八重〔やえ〕岳〉は、島中央山岳部にある永田岳など高峰〔こうほう〕を指す。台風常襲地域で年間降水量も国内最多の屋久島。嵐に負けず頑張れ、と児童を勇気づける。二番の〈永田岬の灯台〉は、学校の西約6キロにあり1897年に設置された。国の登録有形文化財ながら今も現役で、奄美・沖縄航路をはじめ南方航路の安全を守る。のびのび育ってほしいと児童を見守る母の姿に重ね合わせている。

 2020年度に赴任した久保清一〔きよかず〕校長(57)は「言葉の繰り返しが多く、メロディーも耳に残る。こんなに親しみやすい校歌は珍しい」。6年の計屋〔はかりや〕一輝君は「明るい歌で元気が出る」と話す。

 集落を象徴するかのような校歌に、強い愛着を持つ卒業生も多い。高校卒業後に上京し、11年前にUターンした自営業岩川敏〔さとし〕さん(62)は「昔も今も風呂に入った時は無意識に歌う。いつでも自分を励ます応援歌」と誇らしげに語った。

 ●メモ 1876(明治9)年に創立。児童数は1959年に最多の375人を数えたが、その後は年を追うごとに減少した。存続に危機感を持った住民らは、97年から山村留学制度「かめんこ留学」を開始。これまで全国から258人の留学生を受け入れている。2022年12月現在の児童数は14人。

(南日本新聞2022年12月26日付)

校歌の風景

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