地域住民でにぎわう農林館祭り=伊佐市の伊佐農林高校
「翠巒〔すいらん〕繞〔めぐ〕る北薩の 黄金〔こがね〕漂ふ伊佐の原」。「翠巒」とは青々とした山並み、「繞る」はぐるりと取り巻く、との意味。山々が連なる伊佐盆地で爽やかな秋風に揺れる稲穂を想像させる。1番の出だしは情景豊かだ。
創立108年目の同校校歌は、1929(昭和4)年に制定された。作詞の赤瀬川徳森氏について詳細は不明。作曲の前田久八氏は東京音楽学校などで教えた音楽家で、一時鹿児島で教壇に立ったとみられる。当初4番まであったが、現在は1番と4番のみで歌われている。
「精魂こもる我〔わ〕が校旗」との歌詞通り、校旗への思い入れは強い。創立10年に満たない21(大正10)年、学校は存続の危機に直面。危機の詳細は資料が残ってないが、生徒が「団結し危機を乗り切ろう」と決議し、生徒と職員がお金を出し合って校旗を制作した経緯は伝わる。
農業が盛んな地域に根ざした活動も盛んだ。昭和の初めには豚の価格が暴落。苦しむ農家を助けようと、学校で豚みそ「更生之素〔のもと〕」を開発した。90年を経た今も生産は引き継がれている。生徒が作ったジャムや野菜の苗、肉を販売する年2回の「農林館祭り」も、地域住民でにぎわう。
もともと農業専門校だったため、45(昭和20)年に女子農業科ができるまでは男子校だった。「至誠勤労剛健の 校風永遠〔とわ〕にゆるぎなく 学べや励め健男児〔けんだんじ〕」。歌詞に名残がある。
同窓会長の永吉弘行さん(81)は「伊佐の農業は“農林魂”が支えてきた。若者も夢を持って頑張ってほしい」とエールを送る。
●メモ 1914(大正3)年伊佐郡大口町原田に伊佐郡立伊佐農林学校として開校。米どころを支える農業人、農政関係者を多数生み出す。現在は農林技術科、生活情報科で140人が学ぶ。授業の一環で、高齢化や人手不足で困っている地域の農家を助ける「援農」にも積極的に取り組んでいる。
(南日本新聞2022年9月5日付)