バネバネの木のまわりで遊ぶ児童=伊仙町の馬根小学校
校区の馬根(ばね)集落一帯は元々、校歌の出だしに<稲積みどころ古くより>とうたわれるほど水稲作が盛んな地域だった。1969年から国が始めたコメの生産調整でサトウキビへ転作が進行。現在は町内屈指のサトウキビ生産地となった。89年から地域と協力して続ける毎年11月の「黒糖づくり」は、在校生が心待ちにする学校行事となっている。
校歌は69年に制定された。集落出身で、59~62年に助教として教壇に立った常隆則さんが作詞した。当時は児童を伴い、校舎南東の<流れ尽きせぬ左比津川>で水遊びし、校門横の「スットグレー坂」を駆け上がっては小高い丘から<犬田布岳の雄々しさを>眺めたという。
校庭の中心に根を下ろすリュウキュウマツ「バネバネの木」は、<理想はかおる われら馬根校>のシンボルツリー。現校舎ができたころからあったといわれ、60年以上にわたり児童の成長を見守る。春から秋にパンジーやマリーゴールドなどが咲く校内で<おくる六年の花の園>が、豊かな人間性を重んじる校訓のごとく「強く、正しく、明るく馬根の子」を育んでいる。
6年の常美里弥(みりや)さんは「仲間を思い、協力し合うことの素晴らしさを教わった」と誇る。卒業記念碑の一つには「むうる ちごうて むうる ゆたんで」(みんな違って、みんな良かったね)と記される。徳永一哉校長(56)は「目標を持って<学びの道にいそしみて>、うそのない<心をみがき身をきたえ>、一人一人が自分らしくそれぞれの道を切り開いてほしい」と願う。
●メモ 犬田布尋常高等小学校馬根仮教場、鹿浦小学校馬根分教場を経て、1953年に伊仙村立馬根小学校として創立。62年の町制施行で町立になった。児童数は10人。2学年が同じクラスで学ぶ複式学級で、体育などは全学年合同で行う。小規模特認校で町内校区外から転入生を受け入れている。
(南日本新聞2023年2月6日付)