南種子町立大川小学校|海を挟んで広がる、雄大な屋久島の風景を歌に

2024/04/08 14:00
屋久島を目の前に望む大川小学校=南種子町中之上
屋久島を目の前に望む大川小学校=南種子町中之上
 種子島の南西部に位置し、海を挟んで雄大な屋久島を望む風光明媚〔めいび〕な地にある学校だ。地域住民の心に刻まれた風景は、1972(昭和47)年制定の校歌でも〈雲また映ゆる 八重岳の/気高き姿 仰ぎつつ〉と取り上げられている。

 作詞・作曲の岩坪巌さん(93年に90歳で死去)は、南種子町出身の元教員。「種子島人列伝」(南方新社)によると、音楽教育に優れ、作曲家の山田耕筰から指導を受けたこともあった。島内小中学校の校歌をいくつも手がけ、南種子町民歌を作ったことで知られる。

 西之、中之上、島間3地区のはざまにある学校は、特異な生い立ちを持つ。各地区で「へき地」に当たる4集落の住民が、登下校の不便さから学校設置を要望したのが始まり。「寄り合い校区」だったため、正式に「西海」の校区名が付けられたのは創立後約10年がたってからだった。

 地域の暮らしを取り入れたユニークな行事が多い。海遊びを通じて海の楽しさと危険性を学ぶ半日の「磯研修」は40年以上続く。漁船クルーズや伝統漁体験、バーベキューとメニューは盛りだくさん。学校の目の前が大川漁港ということで、クラブ活動には釣りがある。校区が種子島の製塩発祥の地だけに、数年前から塩作り体験も始まった。

 古くから教育への関心が高く、学校行事に協力的な校区だ。校歌は4番まであり、赴任2年目の渡邊忍教頭(42)は「自然の豊かさ、子どもたちの楽しげな様子が感じられる」と話す。

 ●メモ 1886(明治19)年、上中学校分席として開校した。校区は牛野、大川、上立石、下立石の4集落から成る。児童数が最多だった頃の1958(昭和33)年には150人が通った。現在は全校17人で、県外からの留学生が11人を占める。

(南日本新聞2024年3月4日付)

校歌の風景

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