西郷隆盛・従道誕生地
維新三傑の一人といわれ、維新の中心的な役割を担った隆盛は1827年、吉兵衛の長男、明治政府で海軍大臣を務めた従道は43年に三男として生まれた。鹿児島城下は町ごとに区切られた郷中という単位で少年たちをしつけており、隆盛は下加治屋町郷中の二才頭(にせがしら)として人望を集めた。
所在地:鹿児島市加治屋町
座禅石
誓光寺の庭にあり、西郷や大久保ら当時の若き志士たちが寺の住職だった円了無参の教えを受け、日夜座禅し、修行に励んだと伝わる。護国神社から城山団地に上ったところにある座禅の森にある。
所在地:鹿児島市城山1丁目45-12
西郷隆盛蘇生の家
鹿児島湾に身を投じた西郷と月照上人を手厚く介抱した家。月照は亡くなったが、西郷は一命を取り留めた。現在のかやぶき屋根の家は1969年に復元されたもの。
所在地:鹿児島市吉野町9771
西郷南洲翁宅地跡
加治屋町の屋敷を売却した西郷一家が、明治が幕を開けるまでの14年間暮らした場所。共研公園の一角にある。
所在地:鹿児島市上之園町
西郷南洲野屋敷跡
西郷が青年時代、困窮した家計の手助けのために開墾してサツマイモを植えた場所。鹿児島実業高校向かい側の山手にある。
所在地:鹿児島市西別府町2790
西郷武屋敷跡
征韓論に敗れて下野した西郷が西南戦争まで暮らした屋敷跡。上級武士から譲り受けた高縁の御殿づくりで部屋数も多かったという。西郷はここを拠点に、吉野や西別府の開墾に出かけたり、県内各地に狩猟に出かけたりした。
所在地:鹿児島市武2丁目28-7
南洲翁開墾地遺跡碑
1873年に鹿児島に戻った西郷隆盛は、75年に開墾社を作った。昼間は原野を開墾し、米やサツマイモなどを栽培。夜は学問に励む場となっていた。
所在地:鹿児島市吉野町
西南戦争薩軍本営跡
熊本や宮崎で敗れた西郷軍は鹿児島に戻り、城山の頂上に近いこの場所に本営を置いた。ここにはその後、時報を知らせる大砲が置かれたことから「ドン広場」と呼ばれている。
所在地:鹿児島市城山町21-6
西南戦争官軍本営跡
現在の鹿児島市役所付近は西南戦争当時、米などを貯蔵する石蔵が並んでおり、官軍はここに本営を置いた。
所在地:鹿児島市山下町11 鹿児島市役所本館敷地内
西郷洞窟
西南戦争の最末期に総攻撃を受けた西郷隆盛が、桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちとともに銃弾に倒れるまでの、1877年9月19日から同24日未明に至る6日間を過ごした。
所在地:鹿児島市城山町
西郷隆盛終焉の地
1877年9月24日未明、城山に立てこもっていた西郷軍が官軍の総攻撃を受けて下山した。激しい攻撃で被弾した西郷は歩行困難となり、別府晋介の介錯により亡くなった。
所在地:鹿児島市城山町
南洲墓地
西南戦争の戦死者が埋葬されている墓地。正面に西郷隆盛、右手に篠原国幹、左手に桐野利秋などの墓が並ぶ(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行、一部抜粋)、西郷隆盛が祀られた南洲神社が隣接する。
所在地:鹿児島市上竜尾町2-1
西郷従道邸庭園跡庭石
東京都目黒区にあった従道邸庭園跡を公園として整備した際、加治屋町の誕生地に移設された。伊豆石、伊予石、紀州の青石の3種がある。
所在地:鹿児島市加治屋町
大久保利通誕生地
西郷隆盛とともに維新三傑と呼ばれ、明治政府の礎を築いた大久保利通は1830年、利世・福夫妻の長男として生まれた。下加治屋町の郷中や藩校造士館で西郷らと学び、同志となった。武術は得意でなかったが、学問は抜きんでていたと伝わる。
所在地:鹿児島市高麗町3-1
大久保利通生い立ちの地
大久保利通は1830年、利世・福夫妻の長男として高麗町で生まれ、まもなく下加治屋町に移った。下加治屋町の郷中や藩校造士館で共に学んだ西郷らと明治維新を成し遂げ、近代国家建設に着手していった。生い立ちの地に立つ碑は、西郷隆盛誕生地の石碑とそっくりにデザインされている。
所在地:鹿児島市加治屋町
井上良馨誕生地
元帥・海軍大将。1845年、直七の長男として生まれた。19歳で薩英戦争に従事。征韓論論争では西郷に賛同したが、職務を重んじて留まった。
所在地:鹿児島市高麗町
河野主一郎誕生地
青森県知事や霧島神宮宮司。明治政府では陸軍大尉に就任したが、西郷に従って下野。西南戦争で官軍の捕虜となり、特赦で出獄後、政府に誘われて官途に就いた。
所在地:鹿児島市高麗町
大山巌誕生地
元帥・陸軍大将。1842年、綱正(彦八)の二男として生まれた。綱正は西郷の父・吉兵衛の弟。日本陸軍の創設にあたった。西南戦争では西郷軍とたたかう。日清戦争では第二軍司令官、日露戦争では満州軍総司令官をつとめた。
所在地:鹿児島市加治屋町
東郷平八郎誕生地
元帥・海軍大将、連合艦隊司令長官。1848年、実友の四男として生まれる。日清、日露戦争の勝利に大きく貢献。日清戦争の日本海海戦ではロシアのバクチック艦隊を破り、世界に「アドミラル・トーゴー」の名が知られた。
所在地:鹿児島市加治屋町11-24
東郷平八郎墓地
鹿児島市の多賀山にある遺髪を葬った墓地。鹿児島湾に入る艦隊を見下ろせ、東郷を海軍に進ませた薩英戦争の砲台跡が近くにあることなどでこの地が選ばれた。
所在地:鹿児島市清水町 多賀山公園
篠原国幹誕生地
1837年生まれ。明治政府で陸軍少将となったが、西郷とともに下野。西南戦争では西郷軍一番大隊長として出陣し、田原坂で戦死した。
所在地:鹿児島市加治屋町10
村田新八誕生地
1836年、高橋八郎の第3子として生まれ、幼いころに村田十蔵の養子となった。幕末から明治維新にかけて西郷の下で国事に尽力。政府では大久保らの人望も厚かったが、西郷に従い帰郷。西南戦争で薩軍大隊長として自決した。
所在地:鹿児島市加治屋町10
城山展望台
1890年、鹿児島市最初の公園として開設された。緑豊かな遊歩道や桜島、鹿児島湾、市街地を眺める展望台などがある。1877年、西南戦争の最後の激戦地としても知られる。
所在地:鹿児島市城山町
照国神社
島津家第28代当主・島津斉彬公を祀る神社。入口にある大鳥居は、1929年の建設で、高さは19.8メートルある。(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行、一部抜粋)
所在地:鹿児島市照国町19-35
新波止砲台跡
西欧列強からの外圧に対する防衛強化策の一環として島津斉彬が1854年に設置した砲台跡で、国の重要文化財。薩英戦争時には11門の大砲が備えられた。
所在地:鹿児島市本港新町
今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)
篤姫の生家である今和泉家の本邸跡。屋敷自体は既になく、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っている。
所在地:鹿児島市大竜町
歴史ロード・維新ふるさとの道
武家屋敷や西郷隆盛・従道誕生地、大久保利通生い立ちの地など、薩摩の偉人を輩出した加治屋町で、歴史に想いを馳せながら散歩を楽しむことができる。
所在地:鹿児島市加治屋町
歴史ロード・維新ドラマの道
「西郷どん 大河ドラマ館」と「維新ふるさとの道」を結ぶ散策路として、高麗橋から甲突橋までの甲突川左岸緑地内に2018年1月に完成した。集成館事業や薩摩藩英国留学生など歴史的出来事を描いた七つのモニュメントを整備。専用アプリを使ってスマホなどをかざすと、連動した歴史ドラマが流れる。
所在地:鹿児島市加治屋町
近衛の水
島津第22代当主・継豊が1723年に完成させた水圧を利用した水道施設跡。冷水町からいくつかのトンネルを結んで城下に水を流した。1839年に第27代当主・斉興の時代に本格的な施設に改修した。薩摩の高い技術を伝える施設の一つ。
所在地:鹿児島市城山町