1965(昭和40)年ごろの錫山鉱山。トタン屋根の作業場が広がる
かつて、鹿児島市下福元町には日本有数の鉱山があった。1655(明暦元)年に発見された錫山鉱山だ。山ケ野、鹿籠(かご)両金山と並び薩摩三金山と称された。
戦後も新たな鉱脈の発見などで栄え1979(昭和54)年には、日本第2位の産出量を誇った。
しかし80年代半ばになると、ブラジルや中国などのスズ増産で価格が暴落、資源枯渇も相まって86年に閉山した。
薩摩藩の時代から戦中、戦後の地域経済を支えた錫山鉱山。最大拠点だった地福山の地名は「山からスズが湧き福を呼んだ」ことからと言う。近くには「女郎墓」の跡もあり、330年の繁栄の歴史を物語っている