鹿児島市浜町の国鉄鹿児島駅を出発する集団就職列車第1陣。色とりどりの別れのテープが列車の中学生とホームの身内を結ぶ=1959年3月、鹿児島駅
駅のホームには「蛍の光」が流れ、家族や級友、先生たちが紙テープを握りしめる。わずか15歳、中学校を卒業したばかりの子どもたちが、労働力として都会へ送り出された。
1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争以降、日本経済は活発化。労働力不足に陥る中、中卒就職生は「金の卵」としてもてはやされ、地方から都会への集団就職が盛んになった。
鹿児島から集団就職の専用列車が初めて運行されたのは56年。74年に廃止されるまで、14万人超の人材を供給した。
「金の卵」たちは、高度経済成長期を支える役割を担った一方、地方にとっては若年労働力流出の始まりとなった。