ロングスカートが揺れる1957(昭和32)年当時のクリスマスパーティー=天文館のダンスホール
日本の社交ダンスは鹿鳴館時代に始まる。富裕層を中心に欧米ダンスが流行したが、第二次世界大戦でダンスホールは閉鎖された。
終戦後、鹿児島では1945(昭和20)年末、山形屋に進駐米軍専用のダンスホールが開設。1年後に一般開放され、市民の社交場となった。
以後、高島屋や天文館にも開設。47年の新聞は、6月の鹿児島市のダンスホール利用者を3万2800人と伝えている。
娯楽が少なかった時代、社交ダンスは人々の心を捉え、昭和40年代初めまでブームが続いた。