進駐軍広報担当のオズボン大尉とジープでくつろぐ当時の永田鹿屋市長(1945年10月4日付、鹿児島日報)
終戦後間もない1945(昭和20)年9月3日、占領軍が鹿屋航空基地へ進駐した。神奈川県厚木基地に次いでの上陸だった。
枕崎や出水などでは米軍進駐のデマが飛び交っていた。多くの日本人がおびえていたのは想像に難くない。
鹿屋基地周辺が極度の緊張に包まれる中、先遣隊の司令官を迎えたのは当時の鹿屋市長・永田良吉。最悪の事態を覚悟し、懐に短刀まで忍ばせていた。だが、司令官は笑顔で手を差し伸べ、態度は命令的でなくなごやかだったという。