無残な焼け跡に早朝から集まる被災者。桜島も噴煙を上げている=1961年10月2日、鹿児島市郡元町新川港区
1961(昭和36)年10月2日午前1時半ごろ、鹿児島市郡元町新川港付近の空き家から出火、約1万5700平方メートル、751棟を全焼。774世帯3661人が焼け出された。
当時の新聞によると、一帯は木造家屋が密集、道路は狭く消火のための水の便も悪かった。さらに7メートルの強風にあおられ、火勢は一気に拡大。約80分後に海岸に達し、燃えるものがなくなり鎮火した。
「果てしなく広がる灰ジン-。まるで空襲の日そのままだ」。上空からのルポはそう記す。折しも桜島が噴火、早朝から着の身着のままで焼け跡に集まる被災者に降り注いだ。
離島(名瀬、古仁屋)を除くと戦後最大の大火とされ、読者から募ったその年の十大ニュース1位となった。