奄美復帰2日目(12月26日)の祝賀行事で午前中にあった仮装行列の様子=名瀬市(今の奄美市)
1953(昭和28)年12月25日午前0時、奄美群島が日本復帰したその瞬間、花火が打ち上げられ祝賀のサイレンが鳴り響いた。名瀬市内では「バンザーイ」と叫ぶ声がこだましたという。
北緯30度以南の南西諸島が日本から行政分離されて以来、およそ8年がかりの悲願。返還式や大島支庁開庁式の後、ちょうちん行列、花火大会、仮装行列、公式祝典と祝賀行事は三日三晩続いた。
当時の新聞によると、名瀬小校庭であった祝宴は、全島の1割に当たる約2万人が駆けつけた。児童が腰掛ける木の長椅子と机が並び、花輪が飾られただけ。群島の貧しさそのままの簡素さだったが、「乾杯するともう大臣も知事もなかった。一県民として復帰の達成を祝ってともに肩をたたき合った和やかなひとときだった」と記す。