鹿児島市役所に近い名山堀。埋め立て工事が進む中、堀にせり出して建てた住宅の立ち退き問題が残っていた=1958年4月、鹿児島市
鹿児島市役所の海側(電車通りを含む)にはかつて、易居町一帯と名山町の北半分を取り囲むように堀割が巡らされていた。それが地名として残ったのが「名山堀」だ。みなと大通り公園隣の一角で、昭和の雰囲気を残した飲食店やモダンな店が入り交じり、人々を引きつける。
堀割は次第に埋め立てられたが、昭和30年代にはまだ一部が残り、堀の上には住宅が立ち並んでいた。飲食店も多く、船員でにぎわっていたという。しかし、景観や衛生上の問題から、1967(昭和42)年に完全に埋め立てられた。
名山堀は、江戸時代の安永年間(1772〜81年)からの名称だが、名山町が誕生するのは1965年のこととなる。