鹿児島市紫原上空から空撮した紫原団地の全景=1963年
鹿児島市の紫原団地は県内初の団地だ。1956(昭和31)年、高まる住宅需要に対応するため、当時の市住宅協会が郡元、宇宿、鴨池の各町境に広がる丘陵地の造成に着手した。
翌年に第1回分譲があり、42世帯が移り住んだとされる。価格は50〜60万円。大卒公務員の初任給が9200円の頃だった。
都市部への人口集中はますます進み、61年から土地区画整理事業による大規模開発がスタート。63年の新聞によると、当時およそ1400世帯4500人が住んでいた。道路は暗がりが多く、最寄りの南港電停から団地入り口までの500メートルは「心臓破りの坂」と呼ばれた。地番は入り組み不便だった。
70年に市内で初の丁目制が採用され、現在の1〜7丁目の住所表示に整理。人口2万人を超えるマンモス団地となった。