加治木奉迎場での陛下=1949(昭和24)年6月2日
終戦翌年の1946(昭和21)年2月、昭和天皇は自らの発案で全国巡幸を始めた。敗戦後の混乱の中、国民を励ますのが目的。54年8月まで8年半かけて、米軍施政下にあった沖縄を除く46都道府県を巡った。
鹿児島県へは49年6月1日午後2時50分、鉄路出水に到着。3泊4日の日程で川内、鹿児島、鹿屋、志布志など各地に足を延ばした。沿道や奉迎場には、住民が参集。日の丸の小旗を打ち振り、万歳を叫ぶなどして歓迎した。
南日本新聞は、復興状況の視察や学校の授業参観、戦争孤児に言葉をかける様子などを事細かく報道。空襲でわが子を失っても泣かなかった母親が、天皇に「それはほんとに気の毒でしたね」などと言葉をかけられ、ワッと泣き伏したというエピソードも紹介している。