支持者らを前に敗戦の弁を述べる園田修光氏=20日、鹿児島市郡元2丁目(畦地文雄撮影)
自民・公明両党が過半数割れに追い込まれた参院選の投開票から1週間が過ぎた。鹿児島選挙区(改選数1)では立憲民主党推薦の無所属新人尾辻朋実氏(44)が自民元職の園田修光氏(68)、参政党新人の牧野俊一氏(39)ら3人を破り初当選し、自民は長く独占した参院議席の一つを失った。「保守王国」鹿児島で何が起きたのか。各陣営の戦いを振り返る。〈連載・参院選かごしま 民意の行方㊥〉
自民党鹿児島県連が26日開いた執行部役員・選対常任委員合同会議。参院選鹿児島選挙区で公認した元職園田修光氏(68)が落選し、総括のために県議など関係者が集められた。党幹事長の森山裕県連会長は「なぜこういう結果になったのか、よく分析しないといけない」と語った。
園田氏が獲得した23万4893票は、昨年の衆院選で自民が得た県内比例票の数とほぼ重なる。物価高などで政権への不信が広がる危機感から、県連の国会議員や県議らが集会を相次ぎ開くなど運動量を倍増。森山氏も何度も地元入りしてハッパをかけ、組織の底力を見せた。一方、「重要財源の消費税を守る」との訴えは野党の減税論に埋没。自民や推薦を得た公明党の支持層をまとめきれず、立憲民主党推薦の無所属新人尾辻朋実氏(44)に引き離された。
自身の後援会組織が弱く活動の大半を県連所属議員に頼った園田氏は「皆さんには顔向けもできない。党本部や地元議員に大変苦労をかけた」とあいさつ。選対委員長の野村哲郎参院議員は「自民の冠がつけば通る時代ではない。保守王国の自負を持ち地盤を立て直したい」と強調した。
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昨年県連が実施した公認候補の公募には園田氏や尾辻氏を含む県内外の9人が応じた。国政選挙で落選が続いた園田氏を巡り「逆風下で戦うのは厳しい」との見方もある中、党本部が公認を決め「永田町の論理が働いた」との不満もくすぶった。終盤、関係者から漏れ聞こえた「尾辻氏を立てていたら」との声について、森山氏は「世襲に対する世の中の批判もある。非常に難しい」とした。
市町村別得票を見ると、尾辻氏を上回ったのは園田氏がかつて議席を得た衆院2区のみ。無党派層が多い大票田・鹿児島市が中心の1区、自民国会議員の空白地である3区で計6万6000票以上の大差をつけられた。想定外だったのが、森山氏のお膝元である4区で苦杯をなめたことだ。
「あんなに負けるとは思わなかった」と森山氏が言及した霧島市。8年前に区割り変更で編入され、園田氏も事務所を構え臨んだが、尾辻氏に6893票離された。選対本部長を務めた田之上耕三県議(霧島市・姶良郡区)は「都市化の現象が起き広がりを欠いた。自民党が新味のない旧態依然とした存在に映ってしまった」と振り返り、参政党の急伸も要因の一つとした。
長く自民を支援し、今回は尾辻氏を推した同市の男性(74)は「園田氏の演説は自民の方針を並べただけだった」と断じ、「森山氏の締め付けへの批判もある。動員選挙で票が伸びる時代ではない」と組織戦の限界を指摘した。
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県内3選挙区で敗れた昨年の衆院選に続き、今回は1998年から独占してきた自民の「指定席」を取りこぼした。「私なりの責任を感じている」とした森山氏は「県連会長を辞任するにしても次をどう選ぶかが大事。県連の運営との関係もあり、県選出国会議員で協議する」と述べた。
尾辻氏の父である自民重鎮の尾辻秀久氏(84)が勇退後、県連の現職国会議員は4人になる。ある自民県議は語る。「私たちの訴えは、暮らしに寄り添えていなかった。手取りも上がらず物価高に苦しむ県民を置き去りにしてしまった。政治の初心を忘れていては、いずれ見放される」