ナチス・ドイツが無条件降伏し、欧州で第2次大戦が終結して8日で80年を迎える。
ナチスは欧州のユダヤ人推計600万人超を虐殺した。少数民族「ロマ」、障害者、同性愛者らも差別、迫害した。
忘れてならないのは、こうした蛮行に国民はうすうす気付きながら沈黙したことである。
80年たった今、少数弱者に不寛容な風潮が再び各国で広がっている。今こそ排他主義の教訓に学ぶときだ。
第1次大戦に敗れたドイツは領土割譲を強いられ、軍備を厳しく制限され、巨額の賠償金を科された。天文学的なインフレに国民は苦しみ、失業者は600万人を超えた。
当時、世界で最も民主的とされたワイマール憲法下で選挙が行われていた。しかし、乱立した政党の離合集散や議会の解散が繰り返され、「決められない政治」が続いた。
極右政党ナチスはこうした状況の中で台頭した。
■少数与党で首相に
ヒトラー内閣は連立政権による少数与党として誕生した。
直近の総選挙でナチスは議席を減らしていた。得票率は3分の1程度にすぎなかったのに、さまざまな思惑から首相を要請された。国民の圧倒的な支持を受けていたわけではない。
しかし、1カ月後に国会議事堂が放火される事件が発生すると、それを共産主義者による国家転覆の企てと断じてワイマール憲法が認めた大統領令を発令させ、政敵である共産党の活動停止を命じた。憲法を改正せずに、独裁体制を固めていく。
ヒトラー政権は極端な民族主義を訴え、民族浄化と称して人種差別や障害者差別を推進した。言論の自由を奪い、ナチスに反対する人を逮捕し、強制収容所に送り込んだ。
「未来か滅亡か」といった単純化した分かりやすい二者択一でベルサイユ条約破棄や再軍備、強いドイツの復活を繰り返し訴えた。弁護士、医師、実業家などとして成功したユダヤ人への憎悪もあおった。
一方で、一部の金持ちだけでなく大衆が入手可能な廉価なラジオや国民車「フォルクスワーゲン」を開発した。高速道路(アウトバーン)の建設を進め、失業者を大幅に減らした。ナチスはラジオや映画をプロパガンダに利用し、成果を大々的に広めた。
閉塞(へいそく)感から解放され受益者となった大衆が、政権を実質的に支持したことも重く受け止めなければならない。
ナチスの台頭を許してしまったドイツは戦後、西ドイツを中心に加害の記憶の継承を国是とし、歴史教育では現代史を最重要視してきた。外交、安保政策で国際協調路線をとってきた姿勢にもつながる。
1990年の東西ドイツ統一後も方針は変わらず、ヘイトスピーチやホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)否定を犯罪と規定するなど、排他思想の台頭に神経をとがらせてきた。
■各地で極右が台頭
それでも今、極右ポピュリズムの台頭や少数弱者に不寛容な風潮が再び広がっている。
極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は2013年の結党以来、「反移民」を旗印に旧東側で着実に伸長し、今年2月の総選挙で第2党に躍進した。今や政党支持率で首位を走る。
「国境での入国規制」「不法移民の強制送還の徹底」といった主張が、難民・移民をはじめ、ウクライナ危機に伴うエネルギー価格高騰、統一から35年たっても埋まらない旧東西ドイツの格差などへの不満の受け皿となっているのは明らかだ。
2年連続でマイナス成長が続くドイツでは昨年11月のショルツ政権崩壊以来、政治空白が続く。今月6日の首相指名選挙では戦後初めて1回目の投票で決着せず、政治的混乱が改めて浮き彫りになった。
英国の地方選では反移民を掲げる右派ポピュリスト政党「リフォームUK」が大勝。国政与党の労働党や保守党に2倍以上の票差をつけた。
フランスの極右政党「国民連合(RN)」も昨年6月の欧州議会選、同7月のフランス下院選で躍進した。
ハンガリー、オランダ、オーストリアでも排外主義的右派や極右勢力が政権に就いたり、第一党の座を占めたりしている。
「自国第一主義」を掲げるトランプ米政権が、各国の右派指導者に接触しているのも気がかりである。
広がる格差に「取り残された」人々は失望し、募るいらだちを移民への敵意に変えている。怒りをあおり、嫌悪感を植え付けるやり方は80年前と変わっていない。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」。敗戦40年当時のワイツゼッカー西ドイツ大統領が演説した言葉をかみしめたい。