社説

[「ひめゆり」発言]沖縄戦の実相ゆがめた

2025年5月9日 付

 自民党の西田昌司参院議員が、太平洋戦争末期の沖縄戦で動員された生徒らを慰霊する沖縄県糸満市の「ひめゆりの塔」の展示説明について、歴史を書き換えていると主張した。凄惨(せいさん)な戦場体験の証言や平和を構築する戦後の歩みを否定するような暴言だ。

 西田氏は後日会見し、県民を傷つける意図はないと釈明したものの、撤回しない考えを示した。国会議員は、歴史の記録に謙虚に学ぶべき立場にある。沖縄戦の実相をゆがめるような態度を、とても見過ごすことはできない。

 発言は憲法記念日の3日、那覇市で神道政治連盟県本部などが主催し、自民県連が共催したシンポジウムであった。「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そして米国が入ってきて、沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いている。歴史を書き換えられると、こういうことになってしまう」と述べた。

 発言内容のような説明は、塔周辺や展示に存在しない。同県連によると西田氏は「何十年か前」に訪れたとして言及した。あまりに軽率で無責任だ。

 ひめゆり学徒隊は、沖縄戦で日本軍に動員された女子生徒222人と教師18人。陸軍病院に配属され、傷病兵の看護などを担った。戦況悪化後の1945年6月18日に解散命令が出され、戦闘に巻き込まれたり、手りゅう弾で自決したりして136人が犠牲になった。

 生存者らがひめゆり平和祈念資料館を設立し、体験を語ってきた。皇民化教育によって軍国少女に育ち、その後の戦場で遭遇した悲惨な経験を当時の物品や生存者の証言で克明に伝える。

 研究者らは、展示は数々の証言に基づき、戦時の記録などによって裏付けられたものと評価している。「歴史の書き換え」というような批判は当たらない。与党内からも西田氏に憤る声が相次ぐのは当然だ。

 シンポで西田氏はさらに「沖縄の場合、地上戦の解釈も含めてかなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている。自分たちが納得できる歴史をつくらないと、日本は独立できない」とも持論を展開した。自らの政治的主張に都合のよいように客観的な事実から目を背け、支持層の歓心を買おうとしたのならもっての外である。

 沖縄では、日本軍が本土決戦準備の時間を稼ぐため徹底抗戦し、住民も動員された。戦後、強制的に土地を奪われ、日本復帰後も在日米軍専用施設の7割が集中する負担にどう思いを致すかが、政治には問われているはずだ。

 戦後80年の節目、記憶の継承への危機感は高まっている。一人一人が誠実に歴史と向き合う姿勢は欠かせない。

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