先の大戦は、「枢軸国」と「連合国」の戦いだった。
日本は1931年の満州事変から日中戦争へと泥沼の道を進む中、ナチス・ドイツと手を組む。そこにイタリアも加わり枢軸国を形成。ファシズムや軍国主義体制の下で戦線を広げた。
対して米英仏、旧ソ連、中国を中心とする連合国側は、反ファシズムで連帯し、枢軸国を追い詰めていった。
イタリアは43年9月、ドイツは45年5月、日本は同年8月に降伏。敗戦後の日独伊は民主化し、平和な道を歩んできた。
一方、連合国の一員だった中国、ロシアは、強権的指導者の率いる全体主義的国家の色を強めている。
戦後80年の今年、両国がそれぞれ抗日、反ナチズムを掲げて「戦勝国」の歴史をことさら誇示するのは、国威発揚につなげ、現政権の求心力を高めたい狙いだろう。
旧日本軍による侵略に抵抗した一連の戦闘を「抗日戦争」と呼ぶ中国の習近平指導部は、日本が降伏文書に調印した45年9月2日の翌9月3日を抗日戦争勝利の記念日と定める。おとといあった勝利80年記念行事にはロシア、北朝鮮を含む20カ国以上の首脳らを招き、軍事パレードで新型兵器を披露した。
習氏は演説で明確な対米、対日批判はせず、世界の緊張に危機感を示すとともに「平和」という言葉を繰り返した。平和を追求する世界のリーダーとして自身を位置付けたかったのか。だが周辺国を威嚇するような軍事パレードには強烈な違和感しかなかった。
■解決遠い領土問題
旧ソ連の場合は、侵略を受けた「独ソ戦」と、領土目当てに侵略した「日ソ戦」の二つの戦争を戦った。ロシアの人々の心の中では、ファシズムに東西で勝利した戦いとして一体化している。
祖国防衛の聖戦という歴史認識の下、ロシアは、中国と同じ9月3日を「軍国主義日本への勝利と第2次大戦終結の日」と定める。前半部分の「軍国主義日本への勝利と」は、2023年に加わった。ウクライナ侵攻に伴って対ロ制裁を科した日本への対抗措置である。北方四島を巡るビザなし交流、元島民の自由訪問なども打ち切った。
ウクライナ侵攻は、日本とロシアの間に今も横たわる北方領土問題の解決にも影を落とす。歴史をさかのぼれば日ソ戦が領土問題の発端である。1945年8月8日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破り、日本に宣戦布告して始まった。
日本の無条件降伏後もソ連軍は攻撃を続け、18日には、日本統治下にあった千島列島北東端のシュムシュ(占守)島に上陸し、武装解除中の日本軍と激戦になった。その後、南下し9月5日までに北海道根室沖の択捉、国後、色丹島や歯舞群島を占領した。
シュムシュ島上陸日の先月18日、島では「軍国主義日本」に勝利したことを記念する式典が開かれた。プーチン大統領側近がメッセージを代読し、「わが軍の迅速な行動が日本降伏を避けられないものとし、中国や朝鮮、東南アジア諸国の人民を絶滅から救った」と主張。攻撃を正当化した。対日戦勝80年に合わせ、島では千島上陸作戦を記録に残す施設の整備も進む。ロシアの主張は“歴史修正主義”と断じていいのではないか。
アジア侵略の深い負い目を抱く日本も、日ソ戦に関しては不当で違法な侵略だったと主張できるはずだ。石破茂首相が今年2月の北方領土返還要求全国大会で表明したように、まずは高齢化した元島民の墓参再開に重点を置き、交流事業再開を求め平和条約締結に向けた取り組みを諦めてはなるまい。
■平和の理念構築を
80年前の旧ソ連の駆け込みとも言える対日参戦は、実はその半年前に米英との間で密約が結ばれていた。
当時のソ連南部クリミア半島ヤルタにソ連のスターリン、米国のルーズベルト、英国のチャーチルが集い、日本統治の樺太南部や千島列島をソ連領とするのと引き換えに、ドイツ降伏2~3カ月後のソ連の対日参戦で合意する。ヤルタ会談である。当事国抜きの3大国の一方的な取り決めが、戦後の国際社会の構図を決定づけた。
ウクライナ停戦交渉を巡り、米国とロシア主導で行われるのではないか。「力こそ正義」のトランプ米大統領が重要な国際問題を米中ロの勢力圏で決めようとするのでは-。こんな懸念から「ヤルタ2.0」の言い回しを目にする機会も増えた。
日本はどうすべきか。中ロを抱えるユーラシア大陸と、太平洋を隔てた米国の間で、分断を乗り越えるための平和の理念構築が今こそ必要とされている。