生まれてくる子牛を引っ張り出す西之原優さん(左)=1月26日未明、鹿屋市串良(中咲貴稔撮影)
農家の減少と高齢化、輸入飼料の高騰をはじめとする生産コストの上昇…。和牛飼養頭数日本一の鹿児島が直面している課題は少なくない。連載「翔べ和牛」第2部は県内産地の現状を報告する。
✲ ✲ ✲
鹿屋市串良の西之原優(まさる)さん(35)は午後8時を過ぎても牛舎に残っていた。牛の出産に備えるためだ。研修中の坂口功斗(なると)さん(19)も応援に駆け付けた。
1月下旬とあって底冷えが厳しい。牛の吐く息が鼻や口から白い湯気となって立ち上る。
牛の妊娠期間は平均285日。4度目の出産となる「ここなっつ」は、予定日から5日過ぎてようやく兆候が見られた。
西之原さんは待機中、スマートフォンのメモを見返した。「午前4時に自然分娩(ぶんべん)」「子牛の面倒を見た」-。前回の出産時の様子を記録した、いわばカルテだ。牛のお産も人間と同じでそれぞれ異なるという。
ここなっつは座ったり立ったりといった出産前の動きがまだ乏しい。「牛のタイミングに合わせるしかない」。いったん隣の事務所に移り、見守ることにした。
■凍死の恐れ
分業体制が確立した和牛生産で、西之原さんは子牛の繁殖を専門にする。
数頭を飼う兼業農家に育ち、幼い頃から牛は身近な存在だった。鹿屋農業高校、県立農業大学校へと進み、20歳で専業農家として独立した熱血漢だ。
現在、母牛90頭を飼う。坂口さんや母トシ子さん(65)の手伝いをもらうものの、2人は日中別の仕事があり、ほぼ1人で世話する。
出産は数日おきに訪れる。8歳を筆頭に3児を育てる父親だが、1年を通じて「休みらしい休みはない」と明かす。
事務所や出先で牛の様子を映像で見られるよう、5年前から牛舎にカメラを設置している。直接行かなければ確認できなかった以前に比べれば「体力的には楽になった」。
とはいえ、生き物が相手の仕事。牛舎を離れるときは四六時中、スマホやパソコンで確認を欠かさない。冬場は特に緊張感が張り詰める。母牛が出産直後の子牛を放置して凍死させてしまう危険性があり、目が離せない。
■「奇跡」
ここなっつは陣痛が来ているが、体勢にほぼ変化がないまま日付が替わった。体を触って状態を調べた西之原さんは、自然分娩はリスクが高いと判断。子牛を引っ張り出すことにした。
坂口さんとわらを床に敷きつめ、滑車を柵に取り付けた。滑車は6人分の力を生む助産の切り札だ。
腰をかがめ、産道にゆっくりと両手を入れる。「頑張れ、頑張れ」。子牛の足が少し出るとロープをつないだ。牛の呼吸に合わせて滑車を引くと、白い湯気に包まれて子牛が産み落とされた。
ここなっつは子牛の体をなめ続けている。放置の心配はなさそうだ。西之原さんは様子を記録しながら「難産だった」と息をゆっくり吐いた。子牛には奇跡の意味を込め、「みらくる」と名付けた。
牛舎の電灯が消えたのは午前3時すぎ。夜が明けたら餌やり、健康チェック、清掃、排せつ物処理といった日課が待つ。
「なにより家族の理解があってこその仕事。牛飼いという道を選んだからには力の限りやり遂げたい」