駅に建つ慰霊碑にお参りする参加者ら=鹿児島市のJR鹿児島駅
76年前、太平洋戦争末期に起きた鹿児島駅空襲について学ぶ催しが24日、鹿児島市のかごしま市民福祉プラザであった。市戦災復興誌によると死者420人、負傷者650人。鹿児島駅舎も全焼した。遺族や市民ら約20人が集まり、当時に思いをはせながら、平和への思いを新たにした。
会は同市を拠点に活動する「戦争を語り継ぐ集い」が、空襲があった1945年7月27日を前に開いた。
体験者による証言映像の視聴や、駅近くにある長田中学校の五反田聡教諭(54)と1年の中道悠斗さんが、資料を基に当時の街並みなどを説明した。
同空襲の遺族も初めて参加。姶良市の川田満子さん(91)は列車で買い出しに出掛けた父親を亡くした。リヤカーを引いて駅まで家族と捜しに行ったが、遺体は見つからなかったという。
会終了後、全員で同駅のホーム端に建つ慰霊碑に花を手向けた。川田さんは「父が亡くなった場所を訪れる念願がかなった。当時の様子も聞くことができた」と穏やかに語った。
最年少参加となった中道さんは「記憶を風化させないように、学んだことを周囲にも広めていきたい」と話した。