校庭に残る地下壕の出入り口=出水市の下水流小学校
〈戦後77年 戦争遺跡を歩く〉旧海軍航空隊の地下壕=鹿児島県出水市
出水市高尾野の下水流小学校校庭に地下壕(ごう)が残っている。1944(昭和19)年8月に開設された第二出水海軍航空隊の跡だ。特攻隊員が飛び立った出水航空隊の北西に位置し、整備士の養成を目的としていた。
学校前を通る道路に正門だった一対の石柱が立つ。航空写真や目撃者の証言から、今の学校の場所に本部が置かれ、周囲に兵舎が立ち並んでいたとみられる。「高尾野町郷土誌」には兵舎40棟、兵員千数百人と記されている。
壕の出入り口は2カ所。階段を下りると、内部は細長く広さは10畳程度だった。内壁はきれいに塗られ、一部に横方向にくり抜かれた空間がある。市平和学習ガイドの会の神信裕さん(71)は「何か特別なものを収める場所だった可能性もある」と推測する。
この第二航空隊では、数十人を下らない教官や隊員が空襲で亡くなったという。神さんは「特攻兵だけでなく、整備を学んでいた少年たちも命を落とした事実を知ってほしい」と話す。