鹿児島空港開港に先立ち行われた大阪-鹿児島定期便DC3型双発機「薩摩号」の命名式=1957年
1957(昭和32)年7月1日午前10時40分、雨が降りしきる中、福岡からの定期便ダブ型双発機が鹿児島空港(鴨池空港)に降り立った。およそ700人が参加した開港式の最中だった。
同日は、極東航空が運航する福岡ラインと大阪ラインの定期便2機が1番機として離陸。大阪便のDC3型双発機(30人乗り)は「薩摩号」と命名。大勢が見送る中、南日本新聞社が招待した児童使節団4人も搭乗し、午後4時10分に飛び立った。
鴨池空港は、旧海軍飛行場を活用。滑走路は1200メートルで、ターミナルはバラックの粗末なものだった。中央から遠いという弱点がかえって武器となり急速に発展。58年1万8000人だった乗降客は65年33万5000人、70年には100万人を突破した。
一方、騒音問題や滑走路の短さなどから72年、霧島市溝辺へ移転した。