シネシティ文化の前身、鹿児島文化劇場=1984年7月、鹿児島市千日町
1980年代、鹿児島市千日町の天文館には映画館が数多くあった。入り口には大小さまざまな絵看板が飾り付けられ、そぞろ歩く人々を誘う。街のにぎやかさを演出し、人を引きつける“主役”だった。
鹿児島に初めて映画館が登場したのは明治末期という。戦時中にすべてが焼失したが、終戦4日後には騎射場に、ほぼ1カ月後には山形屋に仮設映画館ができた。娯楽が少なかった時代に人気を集め48年までには天文館一帯に次々とオープン、南日本新聞に「本日の映画案内」広告が始まっている。
全盛期は昭和30年代。その後、テレビの普及やビデオ映画の登場などで客足は遠のいた。複合映画館(シネマコンプレックス)の登場もあり2006(平成18)年、天文館から銀幕が消えることになった。