「経営は心だ」「理屈ではない」 稲盛和夫さんからは人間的魅力や仕事への情熱を大切にするように教えられた。卓越した経営者だったが、実際の人柄はとても謙虚だった

2022/09/18 11:00
盛和塾の集まりでカラオケを熱唱し、場を盛り上げる稲盛和夫さん(右端)=2000年9月27日、鹿児島市のホテル(島津公保さん=右から2人目=提供)
盛和塾の集まりでカラオケを熱唱し、場を盛り上げる稲盛和夫さん(右端)=2000年9月27日、鹿児島市のホテル(島津公保さん=右から2人目=提供)
 京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。

■島津興業相談役 島津公保さん(72)

 稲盛さんは人生の師。出会っていなければ、今の自分はない。1990年、知人の誘いで盛和塾鹿児島の発足に加わり、知り合った。当時の私は30代後半。帰郷して日が浅く、将来の不安や周囲との距離を感じていた頃だった。

 そんな時に聞いたのが、「経営は心だ」「理屈ではない」との言葉だった。人間的魅力や仕事への情熱を大切にするよう教えられ、実践するうちに気持ちが前向きになり、仕事も順調に進み始めた。

 稲盛さん自身が魅力にあふれ、誰に対しても驚くほど細やかな気遣いをする人だった。新年会では参加者全員分の雑炊を作ってくれた。集合写真を撮る時はよく、全員の顔がきちんと写るよう、カメラマンの横で指示を出していた。だから手元のアルバムには、みんなの笑顔の写真ばかりが並んでいる。

 偉大な実績を残した経営者であるが、実際の人柄はとても謙虚。京セラの創業についても「(会社を)つくっていただいた」と語り、独立した際に出資してくれた人への感謝を決して忘れなかった。

 経営の話になると目の色が変わった。ある時、私が風力発電事業の好調ぶりを報告すると「そういう時が一番危ない」「成功も試練」とくぎを刺された。間もなく大規模な故障に見舞われ、教えが骨身に染みた。

 社長に事業のことを意見してくれる人は少ない。盛和塾は塾生が互いの問題を指摘し、議論し合う場となった。こうして経営者が切磋琢磨できる関係こそ、稲盛さんが残してくれた大切な遺産だ。2019年の解散当時、世界中で約1万5000人、鹿児島では134人が参加していた。教えを次の世代へ引き継いでいくことが、私たちの務めだと思っている。

(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)

鹿児島のニュース(最新15件) >

日間ランキング >