鹿屋市立田崎小学校|戦争からの復興と、平和への強い思い

2024/04/07 16:00
現在の田崎小学校校舎=鹿屋市川西町
現在の田崎小学校校舎=鹿屋市川西町
 〈鹿屋の流れ水清き〉〈高隈国見にいだかれて〉と1、2番の歌い出しにあるように、田崎小学校はそばを肝属川が流れ、鹿屋市・垂水市をまたぐ高隈山系と肝付町の国見山系を望む。〈田崎 川西 川東〉の3地区が校区だ。

 校歌が生まれたのは激動の昭和。1945(昭和20)年3月18日、米軍艦載機が九州南部の日本軍飛行場を攻撃し、鹿屋市が初めて空襲に遭った。創立百周年記念誌などによると、翌4月8日の日曜日、前身の田崎国民学校が空襲で爆破された。宿直でいた教員ら3人が犠牲になったという。

 近くの穂山睦男さん(92)はその時、高等科2年の13歳。学校から100メートル離れた自宅で巻き込まれ、体が吹き飛ばされたが命は助かった。「天気は曇りだった。鹿屋基地と間違えたのか不明だが、学校にいたら死んでいた」と振り返る。

 学校は仮校舎で難をしのぎ、47年に新制の田崎小として校舎が復旧。その年に校歌も制定された。PTA(当時は学校後援会)の文化部が制作したと伝わるが、人名など詳しい記録は残っていない。

 復興への思いが託されたのだろうか、〈文化日本〉〈平和世界〉といったフレーズが目を引く。岩戸淳校長は「先人の平和への強い思いがにじむ歌詞。子どもたちは素直で明るく、地域に温かく見守られている」と目を細める。

 戦後78年。昭和、平成を経た校歌は、これからも〈雄々しくりりし〉く、子どもたちが元気に歌い継ぐ。

 ●メモ 1877(明治10)年に永吉小学校として創立。近くの田崎中学校と連携する「小中一貫教育」に力を入れ、研究授業などで教員同士が定期的に交流を深める。校訓は「よく考え、助け合い、創り出す」。在校生657人(2023年4月6日現在)。

(南日本新聞2023年9月4日付)

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