自然に囲まれた校庭で遊ぶ児童たち=いちき串木野市の串木野小学校
自然に囲まれた市の中心部に位置する。<黄金花咲く山なみ>や<五反田川>など、学校周辺の風景が歌われている。<冠岳を仰ぎつつ>の歌詞は、隣接する串木野中学校の校歌にも使われている。
1931(昭和6)年、旧制鹿児島二中(現甲南高校)教諭や旧制七高(現鹿児島大学)教授を歴任した新屋敷幸繁〔こうはん〕が作詞。戦前から活躍し「鹿児島の西洋音楽のパイオニア」と評された田中義人が作曲した。45年の串木野空襲で校舎の3分の2が焼けたが、作られてから百年近くたった今も、同じ校歌が歌い継がれている。
<心を合わす二千人>と、児童数が入った校歌は県内でも珍しい。旧串木野市はまぐろ漁や鉱山業で栄え、60年度の児童は最多の2778人を数えた。敷地は当時と変わらず、約3万6500平方メートルと県内有数。大・中・小をそろえるプールが、マンモス校だった往事を物語る。
当時を知る卒業生で、学校近くに暮らす長洋孝さん(70)は、郷土の歴史を後輩たちに教える。「校庭で合唱していたのが懐かしい。この先も長く愛される校歌であってほしい」と願った。
●メモ 麓地区にあった寺子屋「達徳館」をルーツとし、現在地に移設された1887年を創立年とする。運動会では、児童や保護者、地域住民らが輪を作り、漁師が歌い継いできた民謡に乗せて「さのさ踊り」を披露する伝統がある。全校児童564人。
(南日本新聞2024年4月22日付)