塩田康一氏
「鹿児島がさらに発展するために、まだまだやるべきことがある」
この4年間を総括し、2期目を目指す理由を語る。
新型コロナウイルス感染拡大が進む中で県知事に就任。県民の安心安全と経済活動をいかに両立するか腐心しながら、「稼ぐ力の向上をはじめ、その時々の課題に一つ一つ取り組んだ」と自負する。
知事職を「政治家というより、行政の長という立場が8割ぐらい」とみる。縦割りではなく、職員が自由に議論できる県庁づくりも心がけてきた。「知行合一」を説く日新公いろは歌のいの一番の歌を引き合いに、「結果を出していく。行政を前に進めていくのが大事」と理想を語る。
鹿児島市出身。ラ・サール中高、東京大学を卒業後、1988年に通商産業省(現経済産業省)入り。内閣府地方創生推進室などで地域活性化に長く携わり、県内各地の自治体とも関わる中で古里への思いを強めた。「生まれ育った人が地元に残っても離れても、いい場所だと思える、帰りたいと思える古里をつくりたい」と思い描く。
周囲は「物静か」「おとなしい」と口をそろえ、自身も「あまり出しゃばる方ではない」と認める。ただ、高校時代は応援団の副団長として声をからし、選挙戦の演説になると、別人のように声を張って聴衆に思いをぶつける一面もある。
長所を問われると、少し悩んで「焼酎をよく飲む。誰とでも分け隔てなく接する」と挙げた。鹿児島中央駅近くで初対面の県民から「一緒に飲まんね」と声をかけられ、酒席に飛び込むことも。出されたものは残さず、「1年目から15%増量した」と照れ笑いする。
親の転勤で幼稚園と小学校の計3年間を徳之島で過ごした。海辺の美しい風景だけでなく、台風常襲地帯の厳しい生活も味わった。大型連休は決まって県内の離島に足を運ぶ。前回同様、千葉から応援にきた妻と選挙戦に臨む。