漫画家 清水玲子さん|次回作は「まだ言えないけど、新しいことに挑戦中」と明かす清水さんが「漫画家がつらかった…」こととは?

2024/09/24 08:00
漫画家 清水玲子さん
漫画家 清水玲子さん
 「漫画家、結婚、出産。小さい頃の夢は全部かなった。もう生まれ変わらなくていいわ」。緻密なストーリーと繊細で美しい画で、時代を超えて愛される作品を生み出し続ける。ユーモアを交え、ちゃめっ気たっぷりに語る笑顔は、社会問題にも切り込む自身の作品とは対照的だ。

■絵を描くことが好き
 出水市高尾野出身の父、福岡県出身の母の元、東京で生まれ育った。両親の故郷に寝台列車で帰省する時に買ってもらえる漫画雑誌が楽しみだった。帰省した親戚宅でも、カレンダー裏にボールペンで女の子の絵を描いていた。「きっかけが何かも覚えていないくらい、絵を描くのが当たり前だった」と振り返る。

 小学3年生で熊本市に転居。進学した商業高校で、漫画好きの友人と漫画の部活動を立ち上げた。作品をつくっては、互いに回し読みして感想を書く「肉筆回覧」に没頭した。

 高校卒業後は、地元の衣料百貨店寿屋に事務職として就職。仕事が終わるとすぐに自宅に戻り、描いては漫画雑誌に投稿した。「1日働いていくら稼げるか、社会人の価値観や考え方を学んだ」。2年後には漫画に集中するため退職、念願のデビューをつかんだ。

■生涯描けたら幸せ
 長年の夢だったが、40年で1回だけ漫画家であるのがつらかったことがある。

 38歳で結婚、「輝夜姫」の連載中だった42歳で待望の子宝に恵まれた。しかし最終回を描いていた妊娠初期、「心拍が確認できない」と医師に告げられた。締め切りが迫る中、毎日泣きながら原稿に向かった。つわりがある上、精神的にもつらかったが、投げ出すわけにはいかなかった。2週間後の検診で心音が聞こえるまで、不安な日々が続いた。

 産後、1年の育休を取って復帰した。娘が体調を崩して、保育園に週3回迎えに行くこともあった。「この頃は育児に時間がかかるので、計画的に描いていた」と懐かしむ。今は大学1年生。「いろいろあったけど、もうすっかり手が離れた」と母の顔をのぞかせる。

 画業41年目に入り、多くのファンが次回作を待ち望む。「まだ言えないけど、また新しいことに挑戦中」と明かす。「これからも、目の前の作品を少しずつ頑張っていく。その積み重ねで、ずっと絵を描いていられたら幸せ」とほほ笑んだ。

■今後の目標
 今まで描いていないジャンルにチャレンジしつつ、なるべく長く描き続けたいです。

■今これに夢中です
「『ピクミンブルーム』で散歩 」
 オフの日の楽しみです。青や白など色とりどりの愛らしい生き物「ピクミン」と一緒に歩きながら街に花を咲かせていくスマートフォンのアプリを入れています。早朝や夜遅くに散歩することも。アシスタントのみんなと励まし合っています。

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■清水 玲子さん
 東京都生まれ。小学3年生から熊本市で育つ。市立熊本商業高校卒業後、地元の衣料百貨店に就職。漫画に集中するため2年後に退職し、1983年、20歳のとき「三叉路物語(さんさろストーリー)」でデビュー。美しい筆致と緻密なストーリーで人気を博し、2023年に画業40周年を迎えた。代表作に「秘密‐トップ・シークレット‐」「輝夜(かぐや)姫」「月の子 MOON CHILD」など。
フェリア600号(2024/09/21)

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