前回衆院選に東京7区から初出馬した。今回は出身地の奄美市を含む鹿児島2区に移り、「日本の未来を鹿児島からつくる」と再挑戦する。
米国で起業。帰国後はコンサルタント業を営みながら、「未来に対してやるべきことを人に話している自分が、政治家をやらないのはおかしい」という思いに至った。「簡単にはいかない。未来をつくるのに30年はかかるだろうが、人生の使い方として魅力を感じている」と語る。
県職員だった奄美出身の両親とともに県内を転居し、甲南高校に進学した。中退して米国の私立高校に入り、卒業後も米西海岸で貿易や通信事業を営んだ。
米国で家賃が払えなくなり路上生活を送ったこともある。「何があってもお前の味方」という父の言葉に「まだやれる」と再起し、自力で抜け出した。米国で経験した弱肉強食、自己責任の社会に日本がどんどん近づいていることを憂い、「格差の是正にも取り組む」と話す。
194センチの長身で趣味はプラモデル作り。動画撮影にもこだわり、編集も自分でこなす。「2区の課題を解決することが日本の未来につながる」と“令和の維新”を訴える。