「核廃絶は私たち被爆者の使命」と語る西上床キヨ子さん=10日、伊佐市大口原田
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞決定を機に、核廃絶に向けた世論の高まりを感じている。生後4カ月に長崎市で被爆した鹿児島県伊佐市大口原田の西上床キヨ子さん(79)。ノルウェーの首都オスロで授賞式が開かれた10日、「核廃絶を目指し闘ってきた亡き先人に感謝したい。核廃絶は被爆者の使命」と語った。
1945年8月9日、爆心地から4.2キロの地点で被爆した。母と昼寝をしていて、地震かと思うくらいすごい音がしたらしい。64歳で亡くなった母から「ぞうきんをぶら下げたように皮膚がただれた赤裸の人たちが、ぞろぞろ歩いていた」と何度も聞かされた。
鹿児島県原爆被爆者協議会の会長を務め、核廃絶に向けた活動に長年携わる。会の事務所は発足から約60年間、鹿児島市にあったが昨年2月に伊佐市の自宅に移った。職員不足のためだ。千人以上いたと聞く会員は143人に減った。平均年齢は87歳ほど。3年前に解散を決めたが、被団協関係者から引き留められ、被爆者や2世からは「心の支えである事務所は残して」との声も寄せられた。
核兵器禁止条約に日本政府が批准するよう願い続け、「唯一の被爆国が批准しないのは世界の恥」と悔しさをにじませる。
平和賞の一報は驚きで衝撃が走った。亡き先人に「あちらで仲間と喜び合ってください」と伝えたいとし、関心の高まる今こそ「被爆者の使命である核廃絶に向けた活動を県民、国民全体で引き継いでほしい」と訴える。