戦没者の冥福を祈り、献花する参列者=27日、指宿市の開聞総合体育館
太平洋戦争の激戦地フィリピンで戦死した約47万6000人の慰霊行事が27日、鹿児島県指宿市の開聞総合体育館であった。これまでコロナ禍や感染症予防で規模を縮小してきたが、6年ぶりに通常開催。県内外から集まった遺族や関係者約300人が戦没者の冥福を祈った。
今年で59回目。例年は戦死者の遺骨4147人分が納められている開聞岳麓の花瀬望比公園で開くが、雨天のため会場を変更した。慰霊顕彰会長の打越明司指宿市長が「今年で戦後80年。悲しみの歴史を繰り返さないよう努力をすることを固く誓う」と述べ、各地区の遺族らが献花した。
米丸憲太郎さん(77)は、父・操さんが1967(昭和42)年に遺骨を持ち帰った収集団の団長を務めた。自身も現地の大学に留学し調査に携わったといい「遺骨を集める遺族の方々を思い出し、涙が出た。戦争は二度としてはならない」としみじみ。山川高校2年の水流光河さんは、全校生徒と職員で折った千羽鶴をささげ「戦争がいかにむごく非常識なのかを考え、亡くなった方々に思いをはせる機会になった」と語った。