「いつまでも守ってあげるよ」…27歳で戦死した特攻隊長が幼い弟妹にあてた、優しさにじむ遺書など展示 大分・宇佐市民図書館

 
2025/04/02 21:00
97式艦上攻撃機の操縦席に座る藤井眞治大尉
97式艦上攻撃機の操縦席に座る藤井眞治大尉
 1945(昭和20)年4月6日、串良海軍航空基地(鹿屋市)から沖縄に特攻出撃し27歳で戦死した、都城市出身の第一八幡護皇(ごおう)隊区隊長、藤井眞治(まはる)大尉の遺品を展示する企画展が、大分県宇佐市の宇佐市民図書館で開かれている。出撃までの4日間、串良基地で家族あてに書き連ねた遺書6点などが目を引く。

 藤井大尉は京都帝国大(現京都大)を卒業後、海軍航空隊を志願。航法を担当する偵察員となった。ラバウルでの負傷を経て44年5月、練習航空隊だった宇佐海軍航空隊の教官に。戦局悪化に伴い45年4月1日、同航空隊で特攻隊「八幡護皇隊」が編成されると、1次隊の隊長に指名された。

 同2日に串良基地に進出。6日午後2時25分、97式艦上攻撃機16機からなる第一八幡護皇隊第4区隊長として同基地を発進。午後6時37分、「攻撃目標空母」との打電を最後に消息を絶った。

 遺品は、母親の冨美さんが保管していた写真や遺書など105点。2024年7月、神奈川県在住の遺族と交流があった、豊の国宇佐市塾の平田崇英塾頭(76)を通じて宇佐市教育委員会に寄贈された。

 遺書6点は、串良基地進出から出撃の朝までに、東京から都城への疎開を控えていた家族や、沖縄海上特攻に出撃して1945年4月7日、枕崎沖で沈められた戦艦大和の護衛艦だった駆逐艦「初霜」に乗り組んでいた弟あてに書かれた。幼い弟や妹たちには鉛筆書きで、「いつまでも守ってあげるよ」などと優しく呼びかけている。

 資料整理を担当した市教委社会教育課の安田晃子学芸員(67)は「最後に書かれた文章ほど、軍人としてよりも個人の思いがより強く出ている」と話す。

 企画展は5月11日(月曜休館)まで。開場時間は午前10時~午後6時(日曜午後5時まで)。無料。出撃80年目となる4月6日には、午前10時半、午後1時半の2回、ギャラリートークがある。

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