住民の健康と命支え100年 医師不足やコロナ禍も乗り越えた地方の医療機関が発揮したスタッフ力…次の1世紀も「住民のために」発展誓う

2025/04/06 15:00
創立100周年を迎えた出水総合医療センター=4日、出水市明神町
創立100周年を迎えた出水総合医療センター=4日、出水市明神町
 鹿児島県出水市の出水総合医療センターは、3月で創立100周年を迎えた。公立の医療機関として住民の健康と命を支え、経営難や新型コロナウイルス禍も乗り越えてきた。関係者は次の一世紀に向けて、さらなる発展を誓う。

 阿久根市の男性(78)は約半年前、救急車で同センターに運ばれた。数日前から体調に異変があった。診断は心筋梗塞。手術をしても助かるかは不明だったが、家族の希望で実施し、血管を広げて成功した。

 センターへの入院は初めてだった。看護師の声かけや対応は丁寧で、リハビリも理学療法士が親身になり支えてくれると感じた。退院前には「献身的な対応に感謝の念にたえません。スタッフの方々最高です」との手紙を病院側へ渡した。

 センターの開設は1925(大正14)年3月。当時の米ノ津町が町民の健康を守り、まちの繁栄や産業増進につなげるために、町立米ノ津医院として立ち上げた。同年5月の開院時の診療科は内科と外科だった。

 54(昭和29)年4月に出水町と米ノ津町が合併して出水市が誕生し、出水市立病院に改称。大正時代の木造の建物は66年、鉄筋コンクリート造りに改築された。2006年3月には出水市、高尾野町、野田町の合併に伴い、現在の名称になった。

◆患者も収益も減

 100年の間に規模は拡大し、地域の中核的な医療機関の役割が増していった。しかし、21世紀に入って危機が訪れる。04年度にスタートした臨床研修制度の影響で、大学医局からの医師派遣が減少。02年度末に37人だった常勤医は、11年度末には16人と半数以下になった。患者も収益も減り、経営難に陥った。

 06年4月から院長を14年間務めた瀬戸弘脳神経外科部長(68)は、大学医局へのあいさつ回りを管理職と続け、医師派遣を頼み込んだ。経営は苦しかったが、「職員にも給与カットに応じてもらった。みんなで支えてくれた」と感謝する。

 18年就任の椎木伸一市長は職員の意識改革に加え、大学医局に寄付講座を開設し、医師を招へいする改革プランを進めた。1人だった整形外科の常勤医は24年度末に4人となり、全体でも30人まで回復。患者が増え、収益も増加した。

◆ワンチーム

 20年からは新型コロナウイルスへの対応を迫られた。苦労も多かったが、花田法久院長(64)は「コロナによって職員にまとまりが出た」と前向きにとらえる。高校から多数の生徒のPCR検査を急きょ頼まれた際には、携帯電話のショートメールで対応できる職員を呼びかけると、次々と手を挙げてくれた。患者の受け入れやワクチン接種も一丸で取り組んだ。

 学生時代、ラガーマンだった花田院長は「病院の組織づくりはラグビー精神につながる」が持論で、職場のチームワークを大切にする。職員が幸せになると患者も幸せになるとし、生き生きと働ける職場づくりを心がける。「まだまだいい病院をつくれる。ワンチームで、住民に必要とされる病院であり続けたい」と語る。

 同市高尾野町の男性(68)は22年夏、脊柱管狭窄(きょうさく)症で手術を受けた。主治医や作業療法士ら職員の親切な対応、気軽に話せる関係性に、安心して1カ月間の入院生活を送ることができたと振り返る。「医療センターは自宅から車で約10分と近く、妻も助かった。地域医療の最後のとりでとして、医療の質、職員のいい雰囲気を維持、充実してほしい」と期待する。

 ■出水総合医療センター 現病院がある出水市明神町に1925年3月、米ノ津町立米ノ津医院として設立。現在の病床数は261床(うち46床は休床)、診療科目は内科、外科、整形外科など30。職員数は2025年1月1日現在、508人(非常勤医師、会計年度任用職員を含む)。23年度の延べ入院患者数は6万5677人、延べ外来患者数は7万397人。患者は出水市のほか、長島町、阿久根市、熊本県水俣市などから訪れる。

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