可視光で撮影した画像では何の変哲もない緑の山だが…(瀬戸内町教育委員会提供)
鹿児島県瀬戸内町教育委員会は、太平洋戦争で町内最大の戦闘があった加計呂麻島・瀬相地区の山中に、機銃陣地や米軍が投下した爆弾跡とみられる場所を発見した。同地区には旧日本海軍の大島防備隊本部があり、機銃陣地があったと伝わっていたが、位置などは分かっていなかった。ドローンを使った3月のレーザー計測で確認した。今後、現地調査を検討する。
加計呂麻島と奄美大島の間にある大島海峡の中ほどにある瀬相地区には1941年、大島防備隊本部の前身の大島根拠地隊が設置された。45年4月2日には同地区に入港していた輸送艦などが米軍機の空襲を受け、2隻が沈没し、100人以上が犠牲になった。
これまで平地にある弾薬庫や船のドック跡は確認されていたが、山中は毒ヘビ・ハブが生息することもあり、詳しい調査はされていなかった。町教委は上空からのレーザー照射により木々に覆われていても地表の形状を確認できる技術に着目。ヤマハ発動機(静岡)の協力で3月5~11日に調査した。
データを加工した画像で機銃を設置するために山の峰に掘られたとみられる穴や、爆弾でできたとみられる複数のくぼみを確認。詳細は精査中で、5月にも住民向けに開く報告会で説明する。
町では2023年、大島海峡に面する西古見砲台跡(奄美大島側の同町西古見)と手安弾薬本庫跡(奄美大島側の同町手安)、安脚場砲台跡(加計呂麻島)の旧陸軍の3遺跡が国史跡に指定された。町内には今回調査した大島防備隊本部跡(同)のほか、特攻艇・震洋(しんよう)隊基地跡(同)、佐世保海軍軍需部大島支庫跡(奄美大島側の同町久慈)の旧海軍の3遺跡もある。
これら6遺跡が造られたのは1890~1940年代。旧陸軍と旧海軍の施設が長期間にわたり同じ地域に置かれ、さまざまな遺構が残るのは珍しいという。
町は旧海軍3遺跡の国指定も目指す。町教委で埋蔵文化財を担当する鼎(かなえ)丈太郎さん(49)は「80年前の戦闘の痕跡を確認でき驚いた。当時の奄美や日本の戦況の一端を垣間見ることができる。次世代への継承に生かしたい」と話す。