熊本地震で亡くなった脇志朋弥さんらが通っていた神山小学校=15日、南大隅町根占川北
熊本、大分両県で計278人が犠牲となった熊本地震は16日、東海大4年で阿蘇キャンパスに通っていた脇志朋弥(しほみ)さん=当時(21)、鹿児島県南大隅町出身=が亡くなった本震から9年が経過した。脇さんが生きていればちょうど30歳。小中学校の同級生だった女性2人は「天国で幸せにしてるだろうか」と思いをはせる。
「負けず嫌いだけど、ほわんとしてニコニコ明るい感じ。私の記憶の中ではいつも目尻が下がっている」
鹿児島市田上5丁目の公務員笹原明日香さん(30)は、同じ団地で育った小中学校の同級生。小学生の頃は団地の駐車場で、脇さん父子と一緒にバレーボールをしてよく遊んだ。「父親とやっているのを見かけると、私も外に出て行って交ぜてもらった」と懐かしむ。
家でゲームをしたり、一緒に英語を習ったりと子どもの頃の思い出は尽きない。中学の合唱コンクールでピアノの伴奏者に選ばれるように練習を重ね、うまく弾けなくて泣いているのを励ました記憶がある。
南大隅町役場に務める冨尾菜乃花さん(30)も脇さんと小中学校まで一緒だった。「同じバレーボール部で、仲の良い友達というよりはライバル。お互い負けたくない気持ちで競い合ってけんかもした。大人になった今だったら仲良く楽しいバレーができたのかな」と思うことがある。
最後に会ったのは成人式。今も実感は湧かないが、ふとした瞬間や地震のニュースに触れると脇さんを思い出す。「同級生はみんな心の中で志朋弥のことを思い出している」と語る。
葬儀では、友人代表の笹原さんに、冨尾さんが付き添って思い出を語りかけた。笹原さんは「途中から涙が止まらなくなり、手紙を必死に読み上げた。志朋弥さんの顔がとてもきれいだったことを覚えている」。
あれから9年。笹原さんは今夏に結婚を控える。「生きていたら同じくらいの年で結婚したんだろうと思う。一緒に地元の公園で子どもを遊ばせたかった。天国でどうしているのか、幸せにしているのか教えてほしい」と言い、墓前に結婚を報告に行くのを楽しみにしている。