大崎事件の現場を案内する武田佐俊さん=16日、大崎町
1979年に鹿児島県大崎町で男性の変死体が見つかった「大崎事件」で、殺人罪などで満期服役し、一貫して無罪を訴える原口アヤ子さん(97)が初めて裁判のやり直し(再審)を申し立ててから19日で30年がたつ。2月には第4次請求が最高裁で棄却され、再審の見込みは立っていない。ただ、最高裁で審理した5人の裁判官のうち1人は「再審すべきだ」と支持したことに弁護団(森雅美団長)は手応えを感じており、次の再審請求へ向けて新たな証拠を模索している。
なぜここまで人生を狂わされるのか-。闘い続けられる背景には支援者らの存在がある。その一人、武田佐俊さん(82)=串間市=は、「理不尽さに怒りを覚えながら」15年以上原口さんの生活を支え続ける。
鹿児島県議選を巡り公職選挙法違反で逮捕、起訴された後、全員が無罪となった「志布志事件」を支援していた武田さんは、無罪確定後の2007年に「ぜひ講演を」と大崎事件の支援団体から打診された。
そこから関わるようになった原口さんの第一印象は「泣き言を言わない人」。気丈な性格だったが、生活に支障はないのだろうかと気にかけ、通う病院を聞いて、車で送迎を始めた。週末は無実を訴える街頭演説のため鹿児島市まで一緒に行くようになり、14年に施設に入所するまで細やかな生活支援を続けた。
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「ここが風呂場だった」。武田さんが案内する事件現場は草木が生い茂り、人が住んでいた面影はほとんどない。崩れながらもかろうじて原形をとどめるのは1棟のみで、発生から45年余りの年月を感じる。
6月で98歳となる原口さんは医療機関で暮らす。会話が困難になった今も武田さんは定期的に通い、ノートに文字を書いて意思疎通を図る。やりとりは毎回A4判の用紙にまとめ、支援者や弁護団と共有している。
入院を余儀なくされてもなお、目に力を感じるという。「ここまでみんなで頑張っても再審は始まらない中、執念で生きている」
今でも事件との関係を周りに打ち明けられない親族がいる。「こんな人権侵害が『仕方ない』で済むはずがない」と語気を強める。
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同じく再審を求め続けた袴田巌さん(89)は、昨年無罪を勝ち取った。1966年の静岡県一家4人殺害事件の犯人とされ死刑判決を受け、「袴田事件」として世に刻まれた。2度の再審請求を経て、発生から58年後に名誉を取り戻した。
大崎事件同様、不明確な証拠開示の基準、検察の不服申し立てなどが審理を長期化させた。袴田さんの姉ひで子さん(92)は「支援する方々がいなければとても続けられなかった。再審制度は絶対見直さなければならない」と語る。
その上で「アヤ子さんも絶対生き抜いて」と応援する。先日は武田さんと電話で会話し、少しでも力になればと袴田さんのトレードマークともいえる帽子を託す約束をした。武田さんは「ありがたい限り。エールを胸に、闘い続ける」と力を込めた。
■大崎事件
1979年10月、大崎町井俣の農業男性=当時(42)=の変死体が自宅牛小屋の堆肥の中から見つかった。鹿児島地裁は80年3月、親族間の犯行と認定。殺人と死体遺棄の罪で原口さんに懲役10年、長兄(原口さんの元夫)に同8年、次兄に同7年、死体遺棄罪でおいに同1年を言い渡した。主犯とされた原口さんは最高裁まで争い、81年2月に有罪判決が確定。満期服役した。95年4月に最初の再審請求をした。