県立鴨池球場(現・平和リース球場)で、報道陣に囲まれる日本代表監督の長嶋茂雄さん(左)=2003年2月26日、鹿児島市
プロ野球巨人の終身名誉監督である長嶋茂雄さんの訃報に、鹿児島県出身の元プロ野球選手たちは別れを惜しみつつ、昭和のスーパースターに思いをはせた。
巨人のV9時代に、長嶋さんとプレーした黒江透修さん(86)=旧姶良町出身=は、「三遊間でコンビを組めたことは誇り。周りを巻き込める面倒見のいい先輩だった」。練習で共に汗を流した日々を懐かしみ、「ミスターは厳しさの中に優しさがある。最高の時間を過ごさせてもらい幸せ」と感謝した。
巨人のスカウト部に所属する元投手・木佐貫洋さん(45)=川内高出身=は「自分より身長が低いはずはずの長嶋さんがとても大きく見えた。言葉では言い表せないオーラがあった」と印象を話した。
アテネ五輪を目指す日本代表候補だった時も縁があり、2003年のアジア選手権では共に日の丸のユニホームを着た。「長嶋さんの本は何度も読み返した。一緒に戦えて光栄だった」と振り返った。
元広島のエース外木場義郎さん(80)=出水市出身=は、「巨人の長嶋茂雄さん、王貞治さんと勝負したかった」と広島入団の決め手を語る。
1971(昭和46)年6月、後楽園での試合が特に印象に残っている。「7回2死までノーヒットノーランだったが、王さんを四球で歩かせた後、長嶋さんにホームランを打たれた」と勝負強さをたたえた。「戦後の日本プロ野球を盛り上げたのは長嶋さんと王さん。野球界の宝を失った」としのんだ。