〈資料写真〉ロッテキャンプでサブロー(中央)を指導する長嶋茂雄さん(右)=2003年2月、鹿児島市の県立鴨池野球場(現・平和リース球場)
「ミスタープロ野球」と呼ばれた元巨人の長嶋茂雄さん(89)が3日に亡くなり、元巨人の投手・定岡正二さん(68)=鹿児島実業高卒=は「前向きな明るさで導いてくれた。感謝しかない」と、人生の師の訃報を悼んだ。
1974(昭和49)年夏、鹿実は甲子園で東海大相模(神奈川県)と準々決勝で対戦し、延長15回の激戦を制した。その秋のドラフト会議。現役を引退したばかりの長嶋監督が率いる巨人から1位指名を受ける。「授業中に、どこからか『巨人』という声が聞こえてきた。実感が湧かなかった」と振り返る。
背番号は20。伝統のユニホームに袖を通し、「長嶋監督に『20勝するんだ』と激励されて背中をたたいてもらった。その感触は今でも忘れない」と感謝する。
81年に11勝、82年に15勝と2けた勝利を記録するなど、同年代の江川卓選手や西本聖選手とともに先発の「3本柱」として活躍した。85年にトレードを拒否、巨人一筋11年で引退を決めた。すでに監督を退任していた長嶋さんにも報告したという。
監督としての長嶋さんの印象は「闘争心という言葉がよく似合う人だった」。80年にプロ初勝利をつかんだ時も「次が大事だと言われた。常に前を見て、勝負では隙を見せない厳しい人だった」。
昨年、病室を見舞った時が最後の会話となった。「笑顔でうなずいてくれた。いつも凜(りん)としていて絶対に弱音を吐かない人。そんな姿に近づきたい」。これからも、ミスターの生きざまを追う。