「カレーショップ90番」店内にある長嶋茂雄さんの写真=3日午後2時45分ごろ、鹿児島市中央町
長嶋茂雄さんの訃報を受け、鹿児島県関係者からも追悼の言葉が相次いだ。
長嶋さんの監督就任時の背番号から店名を取った鹿児島市中央町の「カレーショップ90番」。岩切秀史店長(77)は「信じられない」と衝撃を隠せない。宮崎キャンプには数10回通った。「球場では長嶋さんのいる場所はすぐに分かるほど輝いていた。長嶋茂雄は永遠に不滅だ」
小正ホールディングス(日置市)の小正芳史代表取締役(76)は、長嶋さんと同じ2月20日生まれが誇りだ。「身内のような親近感がある。憧れのスターで本当にさみしい」と話した。
長嶋さんは野球を国民的スポーツに押し上げた。「鹿児島のイチロー」と呼ばれる鹿児島市喜入町の満山一朗さん(85)は今もバッティングセンターに週3回通う。「長嶋さんのおかげで野球が大きくなった。バッティングセンターが各地にできて、生きがいになっている」と感謝した。
NHK鹿児島放送局に勤務経験があるスポーツジャーナリストで元アナウンサーの島村俊治さん(83)=横浜市=は現役終盤に実況、取材した経験があり、試合中のベンチ裏で黙々と素振りを繰り返す姿が印象に残る。「テレビ中継が普及した時期と重なり、ひたむきにプレーする姿が国民の心を打った。昭和を象徴する人だった」と悼んだ。
長島町諸浦の長元信男さん(77)は集団就職列車で大阪に出た18歳の頃、週末は各球場でプロ野球を観戦した。「故郷と同じ『ながしま』の名をもつ選手にどれほど勇気づけられたか」
長嶋さんの誕生日にはタイを送り、今年も2月に届けた。そのたびに礼状やサイン色紙が送られてきた。近年の色紙は文字が乱れていた。脳梗塞の後遺症で右手が使えなくなった時期と重なる。「震える文字を見れば必死に書いたと分かる。ファンを大切にする姿勢は終生変わらなかった」と惜しんだ。