「自由にしゃべり、笑い、泣きたい」 21歳、白血病で亡くなったチェロ奏者 闘病中に探した“居場所” 両親が遺志継ぐ

2025/07/28 20:52
2021年の霧島国際音楽祭の際、霧島を巡った山本さん家族。栞路さん(中央)は花や虫の音など自然あふれる霧島を気に入っていた(家族提供)
2021年の霧島国際音楽祭の際、霧島を巡った山本さん家族。栞路さん(中央)は花や虫の音など自然あふれる霧島を気に入っていた(家族提供)
 鹿児島で開催される霧島国際音楽祭の元マスタークラス(講習会)受講生、山本栞路(かんち)さんは将来を期待されるチェロ奏者だった。2022年4月、白血病で地元の千葉県の病院に入院。だが、それまで欠かさなかった練習場所がなく、ストレスで突発性難聴を発症、音楽を聴くのも難しくなり1年後に21歳で亡くなった。「自由に音を奏で、自分を解放できる場所がほしい」-。両親は遺志を継ぎ、病院に演奏や自由に会話ができる防音室を設置する募金活動に取り組む。

 栞路さんは教員の昭夫さん(58)、バイオリン教室講師の昌代さん(57)夫妻(千葉県四街道市)の一人息子。3歳からチェロを始め、東京の小中高校在学中に数々のコンクールで受賞。都内の桐朋学園大学に進学し、霧島国際音楽祭の音楽監督である堤剛さん(83)に師事した。同大2年の21年、同音楽祭に初めて参加。チェロ、バイオリン、ピアノの「トリオ・スペラ」の一員として、音楽祭の舞台に立てる音楽祭賞と音楽監督賞を受けた。

 霧島滞在中は、両親と霧島神宮などを巡った。昌代さんは「栞路は花々や虫の鳴き声など自然があふれ、空気の澄んだ霧島をとても気に入っていた」と振り返る。2回目の参加を楽しみに練習に励んでいた時、病気が分かり千葉大学付属病院に入院。自分の難聴に加え、コロナ禍で面会が制限され、同室の患者が家族と電話もままならない状況も目の当たりにし、「自由にしゃべり、笑い、泣き、心を解放できる部屋が必要」と訴えていたという。

 栞路さん亡き後、山本さん夫妻は同病院に防音室設置費を寄付しようと決意。必要な約1500万円はチャリティー演奏会やクラウドファンディング(CF)で集めることにした。

 演奏会は昨年と今年の4月、いずれも都内で開き、賛同する堤さん、今年も霧島音楽祭の舞台に立った同門のチェロ奏者笹沼樹さん(30)らが出演。CFと自己資金を合わせて必要額に達し5月、病院に届けた。

 夫妻は「全国に1カ所でも設置病院を増やしたい」と活動を続ける。堤さんらの舞台を見に26日、霧島を訪れた2人は「患者さんの心を癒やすため防音室は必要。まずは取り組みを知ってほしい」と力を込めた。山本さん=080(8028)4225、メールakio4151@yahoo.co.jp

鹿児島のニュース(最新15件) >

日間ランキング >