グラマン機じゃなかった――80年前、児童らを襲った米軍機の正体は…大分・宇佐市塾の織田さん特定「パイロットの判断で無差別攻撃」

2025/08/10 11:43
西小林国民学校児童らの勤労奉仕隊を襲撃した米陸軍のF6写真偵察機。機体横に写真撮影用の専用カメラが搭載されていた(織田祐輔さん提供)
西小林国民学校児童らの勤労奉仕隊を襲撃した米陸軍のF6写真偵察機。機体横に写真撮影用の専用カメラが搭載されていた(織田祐輔さん提供)
 1945(昭和20)年8月10日、宮崎県小林町(現小林市)の西小林駅近くで西小林国民学校(現西小林小学校)児童らの勤労奉仕隊を襲撃し10人を殺害、18人を負傷させた米軍機が、米陸軍第5航空軍第110戦術偵察飛行隊所属のノースアメリカンF6写真偵察機だったことを、米軍資料を調査している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」の織田祐輔さん(39)が突き止めた。

 米軍機は学校日誌の記述などからこれまで、米海軍のグラマンF6F戦闘機とされてきた。だが、襲撃日の10日、同機を運用する米機動部隊は日本の東北海上に展開していた。

 織田さんは、沖縄に駐留していた米陸軍第5航空軍関係の最終任務報告書を調査。「都城から山川に至る武装偵察」を命じられ、沖縄・伊江島飛行場を飛び立った第110戦術偵察飛行隊に所属する3機のF6が「北緯32度03分、東経130度49分の目抜き通りにて約150~200人の集団に機銃掃射し、15~20人殺害の戦果を得た」と報告しているのを見つけた。

 緯度経度は、えびの市に当たるが、3機が鉄道の吉都線沿いに飛んでいること、他航空隊に集団を襲った記録がないことなどを踏まえ、報告書の記述が西小林国民学校勤労奉仕隊の襲撃に当たると判断した。

 第110戦術偵察飛行隊は7月下旬にフィリピンから伊江島に進出。終戦までの半月間、もう一つの戦術偵察飛行隊とともに、11月に計画されていた南九州上陸作戦「オリンピック作戦」に備え、九州内の軍事施設や交通網の写真撮影に当たっていた。

 同隊が装備するF6は、P51戦闘機の胴体後部に専用カメラを備えた偵察型仕様となっており、低空を高速飛行しながら偵察と地上への機銃掃射を同時にこなせた。

 織田さんは「戦術偵察飛行隊の任務が、命令された飛行経路上における、低空での写真撮影と機銃掃射であったため、パイロットの判断で無差別な攻撃が実施された」と解説する。襲撃機がF6Fと認識されていたことは、「3月に南九州地域を初空襲した機体である、F6Fの印象が住民に焼き付いていたためでは」と推測した。

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