100年近い歴史を重ねた県教育会館
芝生が広がる中央公園(鹿児島市山下町)に囲まれるように立つ「鹿児島県教育会館」は、1931(昭和6)年に完成した。現在の山形屋、県立博物館、市中央公民館とともに市内の「4大ビル」に数えられ、ともに太平洋戦争末期の激しい空襲をくぐり抜けてきた。
もともとは教育団体である県教育会が、昭和天皇即位の記念事業として建設。地下1階、地上3階の鉄筋コンクリート造りで、「本県教育に凜(りん)として輝く教育の大殿堂」と称されたという。45年6月17日の大空襲で内部が焼失。戦後は教育会が解散し、建物は県教職員組合などの事務所に使われてきた。
会館に詳しい鯵坂徹・元鹿児島大学教授は「日本近代化の象徴となる貴重な文化財。地下の建具などは完成当時のものとみられる」と指摘する。古典的な様式からモダンムーブメントに移行する過渡期のデザインが特徴的という。
空襲で焼け野原となった市街地を撮影した、写真家の故平岡正三郎さんの1枚に、焦土の中に力強く立つ会館を見つけた。その後、幾度となく修復を繰り返しながら、空襲の記憶を戦後80年にわたり伝えてきた。
建物を所有する財団は、教職員組合などの移転に合わせて会館と敷地を東京の業者に売却。100年近くにわたって鹿児島を見守ってきた「歴史の証人」も、マンション建設のため、9月にも解体されることが決まっている。