海軍の報道班員として鹿屋に滞在した川端康成について語る作家の多胡吉郎さん=鹿屋市のリナシティかのや
1945(昭和20)年4~5月に海軍報道班員として鹿児島県鹿屋市に滞在したノーベル賞作家川端康成(1899~1972年)について、作家の多胡吉郎さん(69)が同市で講演した。特攻隊員との交流が戦後の川端作品に影響を与えた可能性を指摘し「鹿屋に川端文学碑を建ててほしい」と呼びかけた。
多胡さんが2022年に著した「生命(いのち)の谺(こだま)」をベースにした講演で、同市のリナシティかのやで3日あった。隊員の手記や手紙、遺品に触れ、川端が戦後に特攻隊員を描いた「生命(いのち)の樹」や、「虹いくたび」などの作品とつながる部分を解説した。
川端が鹿屋に滞在した約1カ月で172人が出撃し、無線電信室で隊員の最期の通信を聞いたことも紹介。「川端は隊員の送り人となった。特攻を賛美する文章は書かなかったが、人間の根源を見つめる川端がこの体験と無縁でいられたはずがない」と語った。
川端が戦時中に鹿屋にいた事実が知られておらず、文学研究の上であまり語られていないと指摘。「特攻という負の歴史を、文学は命のメッセージに変える力があるはず。文学碑を建て、彼らの思いを語り継いで」と訴えた。