旧喜入町民に配布された「喜入音頭」のレコード(左)と、町制40周年を記念して作られたCD=鹿児島市喜入中名町
鹿児島市喜入町の「道の駅喜入」の駐車場に、ひっそりと「喜入町町制施行四十周年記念碑」が立つ。1996(平成8)年に造られた碑で、「喜入音頭」の楽譜や歌詞が刻まれている。消えかけた字に目をこらすと「歌 北島三郎」とあった。言わずと知れた演歌界の大御所だ。北海道出身の大スターがなぜ? 経緯を調べた。
旧喜入町職員で中名地域コミュニティ協議会の福里廣会長(74)によると、喜入音頭は69(昭和44)年の日本石油喜入基地(現ENEOS喜入基地)の操業と喜入港開港を記念して作られた。作曲は同町の前之浜出身で、2013年に77歳で亡くなった島津伸男(本名・堀信義)さん。北島さんの大ヒット曲「函館の女」や「薩摩の女」、山田太郎さんの「新聞少年」などを手掛けた。作曲家・船村徹さん門下で北島さんとはデビュー前から親交があり、歌唱が実現したようだ。
歌詞は町民から公募した。「喜入の町にゃ夢ひらく」「大型タンカーに願いをかけて」のフレーズがあり、新基地への期待をうかがわせる。地元に残る島津さん直筆の楽譜に「たのしく そして明るく」とあるように、北島さんが力強い歌声を響かせる。
町はレコードを全世帯に配布した。当時、町企画財政課にいた福里さんは「レコードは人気で、何度か再版したのを覚えている」と振り返る。北島さんとの縁は続き、2000年に町民限定のシークレットライブを喜入町総合体育館で開いたという。
合併で鹿児島市となって20年が過ぎた今も、音頭は地元の小中学校の運動会で踊られている。喜入小教諭の竹森伸二さん(45)は瀬々串出身。「北島三郎さんが歌っているのは地元の自慢の一つだった。今の子どもたちも楽しそうに踊っている。これからも喜入音頭を受け継いでほしい」と期待する。
■レコードB面はシャンソン
レコードにはもう1曲収められている。その名も「喜入町シャンソン」。島津さんが作曲し、作詞は「函館の女」でタッグを組んだ星野哲郎さんだ。
「あのひとと語りあかしたおもいでが/波にいざよう夜の海」など、喜入音頭とはひと味違う艶やかな歌詞が印象的。歌った北島三郎さんのいとこの演歌歌手、松前ひろ子さんは「島津先生の勧めで歌うことになった。先生が亡くなり、喜入町との関係が遠くなってきたと思っていたが、今でも喜入音頭が残っていると聞くと、素直にうれしい」とコメントを寄せた。
中名コミュ協の福里さんは「レコードのB面用に、島津さんがそうそうたるメンバーに声をかけてくれたのでは。郷土への深い愛情を感じる」と話した。