最大の使命は新幹線整備。「昭和の三大ばか査定」との酷評、計画凍結…全線開業までの裏に、40年以上続く国交省からの出向者がいた。「鹿児島のためなら何でもやる」

2025/10/06 06:03
鹿児島中央駅を出発する九州新幹線と桜島
鹿児島中央駅を出発する九州新幹線と桜島
 鹿児島県は1979年から国土交通省(当時は運輸省)のキャリア官僚を交通政策課長に迎えている。国とのパイプ役として各種事業を進めたい県、「陸海空の交通政策のデパート」と例えられる鹿児島赴任を貴重な勉強の場と捉える国。双方の思惑があるとはいえ40年以上続き、県の交通行政を主導している。

 ほぼ3年交代で現在の課長は16代目になる。30代半ばでの赴任が多い。

 鹿児島県にとって高速交通体系、特に九州新幹線建設は重要で、初代・辻通明氏、2代目・藤井章治氏をはじめ歴代課長の大きな使命だったと思われる。73年の整備計画決定から進展がなく、82年には巨額赤字を抱える国鉄再建のため計画は凍結に至った。

 国鉄の分割民営化を控えた87年1月、ようやく解除された。課長は3代目の三ツ矢憲生氏。ただ同年末、同時着工を目指していた東北、北陸、九州の3線5区間に優先順位を付けることが決まる。大蔵省主計官が予算説明で、新幹線予算を「戦艦大和、青函トンネルなどに続く昭和の三大ばか査定」と評するなど逆風も強かった。

 4代目の桝野龍二氏に代わった88年夏、鹿児島の着工順位は4位に沈む。自民党の小里貞利衆院議員による「難工事部分の早期着工」という“奇策”で89年、第3紫尾山トンネルに着手、他ルートと同時着工にこぎつけた。一方、新幹線建設の条件にJR九州は並行在来線の経営分離を提案。新幹線ルートから外れる阿久根市の動向が注目された。

 5代目の長谷川伸一氏が赴任した91年、八代-西鹿児島が本格着工。92年には新幹線駅となる西鹿児島駅の建設も始まった。

 96年末の新年度予算案発表直前、官邸が突然の「凍結」を打ち出す。6代目の奥田哲也氏はここで政治の力を垣間見る。自民党の小里衆院議員らが数日間で方針を覆し、財源まで含めた枠組みをつくったのだ。

 7代目の三浦知雄氏在任中の98年、鹿児島ルートの船小屋-新八代が着工。99年、難工事部分の第3紫尾山トンネルが貫通した。

 フル規格での整備が正式決定した2001年、博多-船小屋の工事が始まる。8代目の清水一郎氏は鹿児島ルート全線着工に安堵(あんど)しつつ、並行在来線を三セク化して残すかどうか難しい対応を迫られた。

 04年、新八代-鹿児島中央の一部開業に立ち会ったのは9代目の蔵持京治氏。10代目の田口芳郎氏を経て、11年の全線開業を担当課長として迎えたのは11代目の内海雄介氏。前日に東日本大震災が発生し、祝賀行事が中止される中、ホームに集まった人たちから自然と万歳三唱が起きた。

 元県幹部によると、歴代課長は仕事熱心で、なるほどと思う提案も多かった。ある時、国の意向に沿わない回答を携え国交省に向かった。道中、課長に古巣での立場が悪くなるのではと気遣うと、「平気だ。鹿児島のためにできることは何でもやる」と即答した場面が印象深い。別の元幹部は「鹿児島は新幹線、離島航路など扱う案件も多かった。優秀な人ではないと務まらなかった」と振り返る。

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